京都新聞TOP > 観光アーカイブ >ふるさと昔語り
インデックス

(224)身代わりの手白猿(大津市坂本5丁目)

教えに従い鉦叩く
真盛上人の代わりに鉦を打ち西教寺を守ったと伝わる手白猿の木像(大津市坂本5丁目)
 毎日途切れることなく念仏を唱える「不断念仏」の道場として知られる西教寺。重要文化財の本堂には、鉦(かね)を叩(たた)こうとする猿の木像がある。高さは五十センチほどだろうか。赤い着物に和袈裟(けさ)をかけ、何重にも敷いた座布団の上に座っている。  「着物などは願い事がかなった方々が作ってくれたものです」。同寺の広報担当中島敬瑞(けいずい)住職(38)が説明してくれた。「身代わりの手白猿」と呼ばれる木像のいわれはこうだ。
 室町時代の一四九三(明応二)年、坂本で一揆が起こった時、宗祖の真盛(しんせい)上人が首謀者だと勘違いした比叡山の僧兵たちが同寺に攻め入った。しかし、境内には人影がない。静寂の中、鉦の音だけが聞こえる。僧兵たちが本堂に駆け込むと、手が白い一匹の猿が、真盛上人の代わりに鉦を叩いていた。猿は近くの日吉大社の使者とも考えられていた。「不断念仏の教えは猿にまで徹底されているのか」。恐れ入った僧兵たちは、そのまま立ち去った−。
 「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)。真盛上人は山や川、草木にいたるまですべてに仏性があると唱え、その教えが鳥獣にまで及んでいたことを示すお話です」と中島住職。それ以後、手白猿は「身代わりの護猿(ござる)」としてあらゆる災難から人々を守る象徴となった。「縁ござる、福ござる、客ござる」として良縁や商売繁盛を願う人々がこの木像をなでていく。白かった手の色はすっかりはげ落ちてしまったが、御利益を求める人は後を絶たない。
 地元では有名なこの故事を取り上げた演歌も生まれた。歌手鳥羽一郎さん(55)が昨夏発表した「手白猿(ましら)の響き」。同寺近くに音楽事務所を構え、作詞を担当した祝部禧丸(はふりべよしまる)さんは「西教寺を舞台に平和を祈る心を伝えた歌です。真盛上人は三重出身。故郷が同じ鳥羽さんは縁を感じるなあと、心を込めて歌ってくれました」と話す。
 長年、西教寺を見守ってきた猿だが、悩ましいことがある。数年前から比叡山のニホンザルが寺に出没し、供え物を食べ過去帳を破るなど大暴れしている。「これまで大目に見てきましたが、最近の被害はひどい。昔は鉦を響かせ僧兵の心を鎮めましたが、時代が変わり、猿も欲のまま動く人間を真似てしまったのでしょうか」。中島住職は寂しそうにつぶやいた。
【メモ】西教寺=TEL077(578)0013=は、天台真盛宗の総本山で、聖徳太子が創建したと伝わる。1468(文明18)年、真盛上人が再興し、全国に400の末寺を有する不断念仏の寺として栄えた。織田信長の比叡山焼き討ちで焼損したが、坂本城主となった明智光秀が復興し、明智一族の墓もある。

【2008年2月26日掲載】

各ページの記事・写真は転用を禁じます。著作権は京都新聞社に帰属します
ネットワーク上の著作権について 新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に(日本新聞協会)
電子メディアおよび関連事業における個人情報の取り扱いについて
京都新聞TOPへ