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(232)納豆発祥の伝説(京都市右京区京北)

光厳法皇が「発見」?
納豆発祥の地という言い伝えの舞台となっている常照皇寺(京都市右京区京北井戸町)
 納豆を最初に口にした勇気ある人は誰か。納豆発祥の伝説は日本各地にあり、京都市右京区の京北地域にも伝わる。舞台は、南北朝時代の政争に敗れて出家した光厳法皇が開山した常照皇寺(じょうしょうこうじ)だ。
 地域や文献に伝わる話によると、厳しい修行をする光厳法皇を見た村人が、歳末に炊くみそ豆をわらを束ねて袋状にしたつとに入れて献上した。光厳法皇は煮豆を少しずつ食べ、しばらくすると豆に糸が引くようになった。村人からもらった豆を粗末にできないと、塩をかけて食べたところ、味がよくなった。そこで村人に振る舞い、広まったという。
 なぜ京北で納豆が生まれたのか。納豆や加工品を特産品としてPRしている京北商工会の副会長植田康嗣さん(47)は「納豆を寝かせる時期の冬の気温が適していることと、丸太や農作物を送り込むなど都との関係が深く、当時は貴重だった大豆が手に入ったことが理由ではないか」と推測する。
 京北にはほかにも、納豆にちなむ物や風習が残る。同寺にある光厳法皇の生涯が描かれた絵巻には、わらにくるまれた納豆の絵が描かれているという。また、地域には歌詞の中に納豆が登場する子守歌も伝わっている。特に知られるのが、正月三が日に、もちでくるんで食べる納豆もちだ。
 植田さんは「昔の納豆もちは抱えるほどの大きさで、いろりであぶったり、お湯で温めたりして少しずつ食べたそうです」と教えてくれた。
 納豆もちを、洛北地域の歴史や文化を調査している中村治大阪府立大教授が調べた。納豆もちは旧日吉町や旧美山町のほか、京都市左京区の花背や大原などでも食べられ、作り方や味付けがそれぞれ異なるという。
 例えば旧美山町のある地域では、もちを焼いて塩を加え、練った納豆をくるむ。花背は白もちやとちもち、よもぎもちを練り合わせ、納豆は黒砂糖をまぶす。だが今は、どの地域でもほとんど食べられていないという。中村さんは「納豆もちは地域の特徴を表す文化。ぜひ地域で食べ続けてほしい」と願う。
 わらつと納豆もあまり作られなくなった京北では、商工会が名人から作り方を教わる機会を設けている。植田さんは「地域に伝わる納豆の話をもっと調べ、後世に語り継ぎたい」と話す。
【メモ】常照皇寺は京都市右京区京北井戸町にあり、京北合同庁舎から北東に約8キロ。京都府の歴史的自然環境保全地域に指定され、天然記念物の「九重桜」がある。特産として京北商工会がPRしている納豆もちや納豆あられなどは、庁舎近くの特産品店「ウッディー京北」で購入できる。

【2008年3月11日掲載】

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