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(233)猪兵衛とおこん伝説(京丹波町)

深い夫婦愛 涙誘う
仏主の集落。今年は3月になっても雪が残る。集落から長老ケ岳を越える峠に続く(京丹波町仏主)
 舞台となるのは、京丹波町と南丹市にまたがる長老ケ岳のふもと・仏主(ほどす)。庄屋の藤田猪兵衛とその妻おこんの、切なくも深い信頼で結ばれた夫婦愛がテーマだ。旧園部藩時代の物語だが、二人は実在しており、地元では実話とされる。
 山峡に位置する仏主は、夏場でも日照時間が短い。二人が生きた時代は天候不順も重なり凶作が続いた。そんな中、藩による年貢の取り立ては年々、厳しくなるばかりだった。
 猪兵衛は、村人のことを思い、年貢の免減を藩主小出信濃守に願い出る。だが、逆に代官所に捕らわれ、厳しい取り調べを受けて獄舎で死んでしまう。夫の獄死を伝え聞いたおこんは念仏を唱えようと、お経を仏壇の引き出しから取り出そうとした。すると中から、一通の遺書が出てきた。
 遺書には「私の身に万が一のことがあった時は、そなた(おこん)が殿様に直訴してほしい。村人と行けば、村人も捕らわれるので、くれぐれも一人で…」としたためられていた。
 ある日、おこんは、藩主小出信濃守が京都の静原方面へ視察に行くと聞く。殿様に直訴しようものなら処刑などの重罪に処せられるのが当たり前の時代だったが、亡き夫の遺志を果たすべく、義母や村人の反対を押し切り、死を覚悟し、二人の幼子を連れて仏主から美山へ、極寒の長老ケ岳を越えていくのだった。
 途中、峠で村人に思いとどまるよう、説得されるものの、おこんの決意は固い。それなら乳飲み子だけでも降ろして行けといわれ、二男喜代松を背中から降ろした。寒さで既に喜代松は冷たくなっていた。
 涙をこらえ、亡きがらを村人に託し、長男小太郎を連れ、夜明けごろに静原の手前にたどり着いたおこんは、藩主と面会する。殿様は仏主の厳しい現状を知り、年貢を免除したという。
 この地方の民俗芸能「和知人形浄瑠璃」(府無形民俗文化財)では、この伝説が「長老越節義(ちょうろうごえせつぎ)の誉(ほまれ)」という演目で親しまれている。圧巻は、おこんが喜代松の亡きがらを抱きしめ、自責の念に駆られる場面だ。
 三味線に合わせ、太夫がおこんの心情を朗々と語り、観衆の涙を誘う。和知人形浄瑠璃会の大田喜好会長は「おこんの切ない思いが、観衆の心に響くのでしょう」と話す。
【メモ】京丹波町仏主へは、JR山陰線の和知駅から町営バスで約30分。集落には猪兵衛とおこんの夫婦碑が今も残る。長老ケ岳の登山口でもあり、登山道近くにはカエデやケヤキなど6種類の木が共生し、七色に見えるという「七色の木」がある。

【2008年3月12日掲載】

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