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(234)六角堂のへそ石(京都市中京区) 

お堂移動 礎石残る
六角堂の境内にある「へそ石」。かつては六角通の真ん中にあった(京都市中京区)
 多くの人や車が行き交う烏丸通から六角通を東に入る。間もなく現れる山門の奥に、静かな境内が広がる。ハトが群れをなし、せせらぎの音が心地よく響く。中央に建つ重厚な六角形の本堂が六角堂で、そのまま寺の愛称になった。
 正式な名称は紫雲山頂法寺という。五八七年に聖徳太子が開いたと伝わる。本尊には聖徳太子の護持仏だったという如意輪観世音菩薩(ぼさつ)像をまつる。
 創建当初、境内北側の池のほとりに小野妹子を始祖とする塔頭(たっちゅう)「池坊」があった。妹子が太子の霊を慰めるために仏前に花を供えた。これがわが国の生け花の始まりとなったという。
 由緒ある六角堂には不思議な言い伝えがある。平安京造営の際、新たに造る道路の計画路線に六角堂が重なってしまった。役人たちは太子ゆかりの大切な堂の扱いに困り、桓武天皇の使いを呼んで本尊に祈った。すると一夜にして六角堂全体が北に約十五メートル移動し、問題が解決したという。
 ところがこの時、六角堂を支えていた礎石だけが動かずに残ってしまった。これが今も境内にある「へそ石」という。やや盛り上がった白っぽい石は本堂と同じ六角形で、幅約四十五センチある。中央に開いた直径約十三センチの穴には水がたまり、中にはさい銭の硬貨が数枚見える。へそは中心の意味で、中世には町衆の間で京都のちょうど真ん中を指す目印となった。
 六角堂を管理する華道家元池坊総務所の串田亮司さん(27)は「連日のように団体の参拝客が訪れるが、へそ石が意外と地味で驚く人も多い。売店に置いている『へそ石もち』がお土産に人気です」と話す。
 へそ石は江戸時代まで六角通の中央にあったが、交通の障害になるため一八七七(明治十)年に境内に移り、近年さらに境内の中で場所を変えた。だが売店前に展示している一七八〇(安永九)年刊の「都名所図会」で、六角通の中央にぽつんと残るへそ石の当時の姿を知ることができる。
 へそ石の正体をめぐっては、石灯籠(とうろう)や水位計の跡とする説が有力になっている。だが、現在も周辺には金融機関やオフィスビルが立ち並び、京都の中心地としてにぎわう。今も京都の「へそ」であることは確かなようだ。
【メモ】六角堂は西国巡礼三十三カ所中の十八番札所で、今も観音信仰を広く集める。現在の建物は1877(明治10)年の建造。生け花発祥の地とされ、華道家元池坊の総務所が隣接する。

【2008年3月13日掲載】

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