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(239)韓国合併奉告祭碑(京都市左京区)

当時の歴史認識示す
三宅八幡宮に残る「韓国合併奉告祭碑」(京都市左京区)
 大阪生まれの李明博氏が韓国大統領に就任し、今後、冷え切った日韓関係がどう改善するかが注目されている。現在に至る日韓の歴史認識問題は、一九一〇(明治四十三)年八月の韓国併合が最大の要因だ。
 韓国側から見れば「汚辱」である、この出来事を、日本の「盛事」として記念した「韓国合併奉告祭碑」が三宅八幡宮に残る。参道の東側に堂々とそびえ立ち、高さ三メートルもある。題字は、京都府知事を務め、琵琶湖疏水の建設を推進した北垣国道によるものだ。
 同宮の菅原武弘宮司(72)は「子どもの時から境内にあるが、いつ、どのような経緯で建てられたのか、くわしく分からない。当時の様子を伝える文書や記録も一切残っていない」と語る。
 漢文でつづられた石碑の文書を書き下し文に改めると、「…按(あん)ずるに、わが帝国の韓土に事あるは、遠く神世にはじまれり。その後、日槍帰化し、任那(みまな)来朝す。神后ここに征するに、三韓風靡(ふうび)して、わが内府となれり…」などと記される。さらに、豊臣秀吉の文禄・慶長の役、明治時代の日清、日露戦争を経て、ついに韓国全土を日本の領土としたとあり、神として祭る応神天皇に「奉告」したかたちとなっている。京都をはじめ、全国的に祝賀ムードが漂っていた。
 碑を調べた井口和起・京都府立大名誉教授は「神話の時代から悲願であった朝鮮半島を日本の領土とし、植民地支配を正当化した内容だ。明治末期の歴史認識を如実に表しており、その後の歴史展開とも密接につながっている」と指摘する。
 ただし、碑には謎が残る。韓国併合に関する「詔書(しょうしょ)」を出し、条約を公表したのは八月二十九日だが、碑文は九月二十九日と刻んでいる。また、同じような碑が全国でいくつ建立されたか不明なままだ。
 最近では、韓国の研究者やマスメディアに取り上げられる機会が増え、時折、韓国人観光客も見学に来る。「日韓両国の歴史において、負のシンボルとも言える碑だが、歴史的な事実は否定できない。歪曲(わいきょく)せず、どう後世に伝えていくのか、大きな課題として残る」(井口名誉教授)。先人が残した碑は一世紀近くを経てなお重くのしかかる。
【メモ】三宅八幡宮は、小野妹子が創建したと伝えられる。応仁の乱で全焼したが、数十年後に地元の人々が復旧。本殿と拝殿は明治期に再建された。子どもの病を治す神、学業の神としても知られる。叡山電鉄鞍馬線・八幡前駅から徒歩2分。

【2008年3月25日掲載】

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