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(241)衣掛岩(大津市)

「愛護の若」に由来
愛護の若が滝に身を投げる前に、着ていた小袖を掛けたと伝わる衣掛岩(大津市)
 大津市坂本地域の比叡山にある大宮谷林道を歩くと、大宮川の近くに高さが二、三十メートルはあるだろうか、縦に長い巨大な岩「衣掛(きぬかけ)岩」が見える。一人の若者が、流浪の旅の果てに人生を悲観して川の上流にある神蔵が滝に身を投げた際、着ていた小袖を置いたことが名前の由来とされる。
 若者は「愛護(あいご)の若」という。若の悲劇は近江の地誌「近江輿地志略(よちしりゃく)」などに、内容は少しずつ違うが残っている。江戸時代には、語り物の一種で、操り人形を使った芝居の説経浄瑠璃ともなって、民衆の強い人気を得た。粗筋はこうだ。
 八百年代初め。前左大臣の二条清平夫妻に、やっとのことで子どもができた。愛護の若だ。かわいがられ育ったが、十三歳に母を失ったところから、運命は暗転する。
 父である清平の再婚相手に思いを寄せられ、断ると逆恨みから無実の罪を着せられた。この一件をきっかけに、放浪の旅へ出ることになり、苦難が続く。
 母のお告げで、比叡山の僧だったおじを頼る。しかし、おじには天狗(てんぐ)の化けた姿と勘違いされ、追い返される。腹が減って民家の桃の実に手を出せば、盗っ人とののしられ、老女に散々棒でたたかれた。
 疲れ果て、たどり着いたのは滝の前。散りゆく桜に人生を重ね合わせた若は、小袖に血文字で思いのたけを書き連ね、飛び込んだ。
 若の小袖から事実を知った清平は、再婚相手を死罪として自らも滝に身を投げた。さらに、若を救えなかったことを悔やんだおじらも後を追う。
 物語は、若が山王大権現として祭られたと結ばれている。
 衣掛岩へ続く林道は、落石の危険があるため注意が必要だが、休日には多くの登山客が訪れる。「大きい岩なので目にはつきますが、岩の由来や若の伝承を知っている人はほとんどいない。地元でもそうです」と地域住民でつくる坂本の歴史を語る会の会長を務める園田芳邦さん(76)。
 坂本地域にはさまざまな言い伝えや歴史があるが、人々の記憶から薄れつつあるのが現状だ。園田さんは「このまま廃れていくのは寂しい。なんとかして後世に伝えていきたい」と話す。
【メモ】衣掛岩は比叡山高校と早尾神社の間にある本坂を上り、分岐点で大宮谷林道へ。本坂までは、京阪石坂線坂本駅から西へ徒歩約10分、またはJR湖西線比叡山坂本駅から西へ徒歩約20分。

【2008年3月27日掲載】