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赤坂憲雄氏 京都は文化の都たりうるか

赤坂憲雄氏 あかさか・のりお 1953年生まれ。専門は民俗学、日本思想史。東日本大震災復興構想会議委員を務め、現在福島県立博物館長を兼務。10月に京都大・京都こころ会議シンポジウムに登壇。


 文化庁が京都に移転する、という。わたしはたぶん京都嫌いではなく、かと言って京都好きでもなく、はっきり言っておけば、京都のことを深くは知らない。ただ、京都に繋(つな)がる交友関係は思いがけず多彩であり、いろいろな京都にまつわる情報に触れる機会はそれなりにある。京都での仕事も少なくない。
 その京都に、この国の文化政策をになう官庁が移転するのである。しかし、東京の、わたしのまわりでは、誰もこの話題には触れない。関心がないわけではあるまい。むろん、歓迎する空気はない。はなから諦めているのか、思考停止なのか。はっきりしているのは、この国の文化や芸術をめぐる状況は大きく変わらざるをえない、ということだ。
 わたしは不安と、いくらかの期待とに引き裂かれている。おそらく、京都には二つの貌(かお)がある。うしろ向きに伝統に呪縛された京都と、伝統そのものを創造の糧として最先端の文化を紡いできた京都といったところか。不安と期待はそうした引き裂かれた二つの京都にかかわり、そこに根っこがある。
 あえて赤裸々に言ってみる。文化庁の京都移転が、文化や芸術における東京への一極集中の弊害を打ち壊し、この国の文化的な多様性と、それゆえの豊饒(ほうじょう)な地域文化を解き放つきっかけとなるのであれば、願ってもないことだ、と。東京がその鈍感さをそしられることはなかった。そこが自明に中心であったからだ。これからは違う。謙虚さを持たねば、世界は東京のうえを滑るように通過してゆくだろう。
 そうして京都が世界へと開かれた文化の都となる。まさか、そんなことは起こるまいと思いたければ、思えばいい。文化や芸術こそが、都市や農村の創造的な源泉であることを、やがて思い知らされることになる。人口も経済力も縮小へと向かう。成長から成熟へと転換せざるをえない。足掻(あが)いても無駄だ。この国のかたちはいやおうなしに変貌を遂げる。
 わたしがひそかに願うのは、京都が文化創造都市としての徹底的な自覚のうえに、この列島に展開する多様にして豊饒な地域文化にたいする支援者としての役割を、慎(つつ)ましやかに引き受けることだ。この国が文化の力をもって、未来の風景を大胆に切り開いてゆく先導者となることだ。
 そんなふうに、京都への想(おも)いを掻(か)き立てずにはおれぬほどに、われわれはすでに追いつめられている。東京オリンピック以後を見据えながら、廃墟(はいきょ)のかなたに、京都は文化の都たりうるか、という問いが浮上してくる。

(学習院大教授)

[京都新聞 2016年12月02日掲載]