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井上章一氏 ぜいたく仕様を各国首脳に

井上章一氏 いのうえ・しょういち 1955年生まれ。建築とそれを取り巻く時代の制約も研究テーマ。著書に「伊勢神宮と日本美」(講談社学術文庫)「京都洋館ウォッチング」(新潮社)など。


 20世紀の終わりごろまでは、路上でいわゆる宮型霊柩車(れいきゅうしゃ)を、よく見かけた。京都では、檜(ひのき)でこしらえられた白木の宮型が、めだっていたと思う。記憶のいい方なら、それらがしばしばシートにおおわれたまま走っていたことを、覚えておられよう。
 霊柩車の宮型部分がシートでつつまれた理由は、はっきりしている。檜の木肌を日焼けでくすませないためである。新しい檜材は目にあざやかな印象をあたえるが、陽光はそのかがやきを、たちどころに失わせる。そう言えば、大阪の宮型霊柩車は、檜にニスをぬっていた。どちらも、日焼けどめには苦労をしていたのである。
 伊勢神宮の社殿も、檜でたてられる。それも、節目はどこにもない四方柾(しほうまさ)という、えりすぐりの高級材がつかわれる。その点に関するかぎり、内宮と外宮にちがいはない。どちらも、とんでもなくぜいたくにできている。
 もちろん、神宮の社殿に覆いがかけられることは、ありえない。ニスをぬったりも、されてはこなかった。社殿は式年造替(しきねんぞうたい)でたてかえられるまで、素肌を外気へさらしつづけることになる。素(す)っぴんでがんばる、いさぎよい建築だと思う。
 だが、木肌のみずみずしさは、そう長くたもてない。竣工直後のきららかな外見は、しばらくすればおとろえる。20年ごとの造替がくる前に、黒ずんでしまうことは、さけられない。日傘をささず、保湿クリームもぬらない素肌の、それは宿命だと言うべきか。
 あれだけの高級材を、日焼けからまもらず、くすませてしまう。だが、20年目の造替にさいしては、圧倒的な新鮮さを再現する。とれたてのつややかな美しさを、20年ごとにあじわおうとする。このいとなみもまた、普請の極みをつくしたそれだと言わねばならないだろう。
 さて、今年は先進国首脳会議、サミットが日本でもよおされた。そして、日本政府はその会場に、伊勢志摩を選定している。会議のはじまる、その初日に、各国首脳を神宮でむかえる段取りが、できていた。そのかがやかしい構えを、見てもらいたい、いや見せつけたいということか。
 周知のとおり、さきの式年造替は2013年におこなわれた。社殿の木肌も、さして劣化はしていない。竣工(しゅんこう)時のまばゆさを、じゅうぶんたもっている。今なら見せられるという判断も、どこかにはあったろうか。ブルーノ・タウトが神宮を絶賛したのは、造替の4年後であった。

(国際日本文化研究センター教授)

[京都新聞 2016年05月27日掲載]