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木下千花氏 溝口健二監督の没後60年に

木下千花氏 きのした・ちか 1971年生まれ。専門は映画学。静岡文化芸術大、首都大学東京准教授などを経て2016年4月から現職。著書に「溝口健二論 映画の美学と政治学」(法政大学出版局)。


 京都は映画の都である。稲畑勝太郎とリュミエール兄弟、横田永之助のローカルかつグローバルなネットワークを端緒として「日本のハリウッド」の礎が築かれ、映画は物づくりや芸能の伝統を受け皿としつつ、近代産業として発展していった。しかし、京都が「日本のハリウッド」として世界映画史に燦然(さんぜん)と輝くのは、南カリフォルニアの町が東海岸の劇作家からヨーロッパからの亡命者まで多様な才能を飲み込んで繁栄を築いたように、「地元」のネットワークや伝統に育まれつつも、多くの「よそ者」を受けいれたからだ。そのようなよそ者の代表格として映画監督・溝口健二が挙げられる。

 溝口健二は1898年、東京・湯島に生まれて浅草に育ち、1920年に日活向島撮影所に入り、23年1月に監督デビューする。ところが、同年9月、関東大震災で向島は壊滅的に被災し、日活の現代劇部も京都の大将軍撮影所へと移転することになる。

 その後、56年8月24日に京都府立医科大付属病院で没するまで、溝口は、新興キネマ、第一映画、松竹、大映と撮影所を渡り歩きつつも、基本的に京都をベースとして映画を撮った。

 戦後の時代劇『西鶴一代女』『近松物語』『新・平家物語』や珠玉の小品『祇園囃子(ばやし)』『噂(うわさ)の女』など、京都を舞台にした溝口作品には秀作が多い。例えば、36年の『祇園の姉妹(きょうだい)』は、前作『浪華悲歌(えれじい)』に続いて関西弁を本格的に使用し、トーキー化によってもたらされた映画の新しい可能性を示した。ここでは、京都に親しみつつよそ者であり続けた溝口の観察眼と距離感が、脚本家・依田義賢、主演・山田五十鈴、スクリプター坂根田鶴子ら京都ネイティヴと絶妙のコラボを生んだ。代表作『近松物語』にはキャメラマン・宮川一夫、衣裳(いしょう)・甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)らの京都の匠の力が結晶している。また、『山椒大夫』に助言を与えた歴史家・林屋辰三郎をはじめとしたアカデミアとのネットワークも、京都ならではと言えるだろう。

 溝口は巨匠として国内外で評価が確立しており、本来なら今更「発見」するような監督ではない。しかし、内弟子だった故・宮嶋八蔵氏も指摘したように(本紙6月16日朝刊)、本質的ではない伝記的逸話ばかりが喧伝(けんでん)されてきた。宮嶋コレクションのような新たな資料へのアクセスが可能になり、さらに昨年の『残菊物語』に続いて今年は『雨月物語』が4K修復・公開されるに至って、溝口映画の画面の肌理(きめ)に驚き、演出の細部を支える文化の厚みを発見する機会が、ようやく訪れている。

(京都大人間・環境学研究科准教授)

[京都新聞 2016年06月24日掲載]