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いのき・たけのり 1945年、滋賀県生まれ。京都大卒、米国マサチューセッツ工科大大学院修了。経済学博士。2002年、国際日本文化研究センター教授。今年4月から現職。

猪木武徳氏 進歩阻む「惑溺」から離脱を

 春は桜、と連想するものだが、日本の春は移(異)動の季節でもある。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」はよく知られているが、なかなか含蓄のある詩だ。人間は歳(とし)を重ねると容貌(ぼう)が変わる、また人の去来も絶えることがない、しかし季節が来れば花は毎年同じように咲き続ける。詩心がないわたしにも、歳のせいか何故(なぜ)か心に沁(し)みる言葉だ。
 四月から新しい職場や土地で仕事を始める人は多い。組織の中を異動しながら、さまざまな仕事を経験し、キャリアを広げ、技能を深めていくのは、人材育成の基本である。異動によって上司が変わることも重要だ。働きぶりを違った上司に評価してもらうことが必要だからだ。
 また、企業でも役所でも、同じ部署に人を長く配置し続けると、その人の判断力が曇ることがある。取引先との関係が深くなりすぎるのも、問題だろう。だから人事異動は必要なのだ。この根本は変わらない。
 だが、異動の頻度や範囲が適正なものか否かは、常に精査されるべき問題であろう。頻繁すぎないか、キャリア形成を阻むような無意味な異動になってはいないか等々。
 問題なのは、「今までこうしてきたから、これがベストだ」、といった惰性にもとづく異動であろう。組織の外的環境も使う技術も変わり、仕事内容も以前と変化しているのに、人事異動の形式だけは先例踏襲に終始する場合である。
 こうした精神の停滞を福澤諭吉は「惑溺(でき)」と呼んだ。習慣として常に用いてきた事物の効用を忘れ、ただそのもののみを重んじ、装い、飾り、愛し、ひたすら保護しようとするような姿勢をさす。この「惑溺」による精神の停滞が、文明の進歩を阻むことを福澤は熱心に説いた。
 武士が戦国の世に双刀を帯したのは、法律もない時代に一身を保護するためであった。しかしその後、太平の世にあっても、この帯刀を止めなかったばかりか、それを重んじ、飾り、剣術を知らないものまでが双刀をぶら下げ続けたのは、「惑溺」の典型例だと福澤はわらった。
 この春、わたしが勤める日文研も、多くの新しい人たちを迎え、わたし自身もこれまでとは異なる職務内容の新しい仕事に就いた。わたしも「惑溺」から離脱し、研究所の良き伝統と本来的使命を改めて精査しなければならないと考えている。
(国際日本文化研究センター所長)

[京都新聞 2008年04月20日掲載]

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