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川添信介氏 学問に自己の人生賭けた恩師
かわぞえ・しんすけ 1955年、佐賀県生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。専門は西洋中世哲学史。著書に『水とワイン 西欧13世紀における哲学の諸概念』など。

 この二月の末に、私は恩師山田晶先生を失った。西洋中世哲学の分野で戦後の学界をリードされてこられただけでなく、透明な深さと豊かさをたたえた『アウグスティヌス講話』などで一般読書界の中にもたくさんのファンを持っておられた。 
 山田先生には多くの伝説・逸話があるが、膨大な数のカードにまつわる話は有名である。中世スコラ哲学のトマス・アクィナスを一字一句ないがしろにせずに精密に「読む」ことを先生は後半生のお仕事の中心とされていたが、その読書は独特の筆跡のカードを残すことになり、そのカードの入った箱で机は何重にも囲まれていた。その研究室の様子を見た者は、ある種異様なまでの迫力に圧倒されたものである。そこに感じられた迫力の源は何だったのだろうかと、あらためて思う。 
 トマス・アクィナスは西欧中世最大の哲学者と認められる古典中の古典であり、その研究の歴史は長くぶ厚い。そのトマスを先生は「最初から」読み直そうとしておられたように思う。それまでの既存の枠組みを一度括弧(かつこ)に入れて、トマスの言いたかったことをトマス自身のテキストから読み取ろうとされていた。古典に対する尊敬の思いが、カードの山が発散する迫力の根底にあったことは間違いない。 
 しかし、古典はさまざまに異なった「読み」を許すものである。山田先生の「読み」の背後にあったのは、学徒出陣で亡くされた友たちの声なき声であったように思われる。自分が存在し生きているのに友は死んで今は存在しない。このことの意味をどう考えたらいいのか。この問いを先生はアウグスティヌスやトマスのテキストに問いかけながら答えを探しておられた。カードの山に現れたテキストとの格闘としての先生の学問は、自分の人生を賭けた問いに促されたものであったのだと思う。 
 古典に寄り添いつつ自己の思索を重ね、言うべきことを、静かに語り続けるといった学問の姿は、現在では受け容(い)れられ難いのかもしれない。社会の表面に現れている問題に思いつきのような答えを声高に語る「研究者」はたくさんいても、人間と社会にとって最も根本的な問いを静寂のうちに問い続ける「学者」が少なくなったということ、そしてそのことが社会にもたらす「貧しさ」への危惧(きぐ)を、山田先生のご逝去はあらためて思い起こさせるのである。
(京都大大学院文学研究科教授)

[京都新聞 2008年05月11日掲載]