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川添信介氏 大学生協と市場経済
かわぞえ・しんすけ 1955年、佐賀県生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。専門は西洋中世哲学史。著書に『水とワイン 西欧13世紀における哲学の諸概念』など。

 昨年から勤務先で、創立六十周年を迎えようとしている大学生協の理事をしている。長い間学生の勉学・研究を支援してきた大学生協は、今や空気のような存在になり、「ものが少し安く手に入るお店」とだけ捉(とら)えられている節がないわけではない。しかし、生協の本質は「自分たちの納得するものを自分たち自身で備える」という、人と人のつながりを基本にする協同的経済活動を営む点にある。今も大学生協に集う学生や職員の熱心な活動はその証しである。
 人間の「パンのみにて生きるにあらず」という側面を「文化的」と呼ぶとしても、その活動にも「パン」は必要である。経済活動なしには人間は生きられない。しかし、経済活動と市場経済原理に従うこととは、ただちに同じではない。市場経済原理とは違った協同的原理によって経済活動をしている代表的組織の一つが生協なのである。
 とりわけ大学という場に生協が存在する意義は大きいと思う。教育と研究を中核的使命とする大学そのものが、市場原理とは別の原理によって導かれているからである。西欧中世に発する大学とは、学び・教える者たちの共同体であり、ユニバーシティという言葉は本来「組合」の意だった。生協と大学の設立原理は重なっており、使命を同じくしているはずなのである。
 ところが現在、大学の方が私立大学だけでなく、法人化という名の「疑似・民営化」をした国立大学においても、語られるのは資金の話ばかりである。「それは教育・研究のためなのだ」とは、市場経済原理に対する防御的言辞であり仕方がないように見えるが、実は大学の自己否定への最初の一歩ではないのか。
 もちろん大学も市場経済の外側に存在できるはずもなく、キャンパスにコンビニが導入されていることに象徴されるように、大学生協も今まで以上に直接的に市場経済原理に晒(さら)されている。しかし、そのような中で市場経済「原理」とは別の原理の可能性を身をもって示そうと苦闘している大学生協の存在は、大学の側の現状を考えると貴重なのである。
 大学を含めて「文化」を語るときに、お金のことを高踏的に毛嫌いしたり無視したりすることなく、しかしまた市場経済原理に呑(の)み込まれないような知恵を探ることが必要であり、そのこと自体が「文化的営み」でもあると思う。
(京都大大学院文学研究科教授)

[京都新聞 2008年10月05日掲載]