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笹岡隆甫氏 我を通さず、内なる個性を
ささおか・りゅうほ 1974年、京都市生まれ。3歳から当代家元笹岡勲甫氏の指導を受ける。2000年、京都大大学院博士後期課程中退。著書に『美的生活のヒント』。

 私がいけた花をご覧になって、「どこから着想を得ているの?」とよく尋ねられます。最初に作品テーマを決める、あるいは花材を決める、花器を決めるなど、いろんなパターンがありますが、私はたいてい、いける空間を決めることから始めます。もともと、いけばなは建築を装飾するという役割を担って生まれてきたものですから、花を飾る空間とは切っても切り離せない関係にあるのです。
 空間が決まれば、その舞台にふさわしい花器を選定します。わが家にある花器の中から、その空間をよりリズミカルに演出する大きさと質感を持った花器を選ぶのです。時には、新たに花器を買い求めることや、自らデザインしたものを特注することも。
 さて、花器を選んだら、次はデッサンです。実際にスケッチしたり、目をつぶって頭の中でイメージしたり。デッサンができあがれば、今度はその花器に合う季節の花材を発注します。数日後、花材が届くといよいよ本番、となるわけですが、実は思い描いていた通りにいけられるのは稀(まれ)なこと。真っすぐな枝をイメージしていたのに入荷されたのは曲がった枝、紅葉をイメージしていたのに届いたのは真っ青な葉っぱ…。さて、困った。あなたなら、どうしますか?
 私の場合は、再度デッサンからやり直しです。いけばなでは、花材が本来持っている美しさを引き立たせるのが主目的。ですから、華道家の意図よりも花の個性を優先します。もし、太陽に向かって伸び上がるようなデザインを考えていたとしても、崖(がけ)にかかったように垂れ下がる枝が入荷すれば、その枝のおもしろさが生きるデザインに修正します。葉や花の色や大きさが想定していたものと違っていて花器との調和が悪ければ、急遽(きよ)別の花器に変更することだってあります。
 私たち華道家は、花を使って自己表現するのが仕事ではありません。だから、無理をして自分の我を押し通す必要はないのです。個性を前に前にという風潮の昨今ですが、むしろ自分は一歩引いて、花が本来持っている美しさを引き立たせる役目に徹する。それでもやはり祖父のいけた作品と私のいけた作品が違うのは、きっとそこに消そうとしても消しきれない内なる個性というものが出てくるからでしょう。
 無理をして個性的になんかならなくてもいい。誰もが魅力的な個性を内に秘めているのですから。
(華道未生流笹岡次期家元)

[京都新聞 2008年11月09日掲載]