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川添信介氏 感動呼ぶハンディゆえの純粋
かわぞえ・しんすけ 1955年、佐賀県生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。専門は西洋中世哲学史。著書に『水とワイン 西欧13世紀における哲学の諸概念』など。

 ピアニスト辻井伸行さんの福知山市でのコンサートが、トラブルが起きるほどの人気とのこと。生の演奏には接していないが、テレビで聞いただけでも、真っすぐで透明な音は私の心を打つ。著名なコンクールで金賞を受賞されるのも宜(むべ)なるかなと思わせる。
 しかし、辻井さんが視覚障がい者であるがゆえに、「あれほどのハンディがありながら」という感慨ゆえに、私たちは感動するのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。
 一方、私は最近「あぶあぶあの奇跡」というドキュメンタリー映画を観た。「あぶあぶあ」とは、神戸に在住する知的障がいがある人たちの楽団名である。27年前にハンディのない指導者であり良き仲間をえて始まり、今はミュージカルをも加えつつ、国内外で公演を行ってきている。
 生の演奏にも一度だけ触れたのだが、「あぶあぶあ」は決して「上手な」演奏ではない。リズムは合わないことがあるし、音程だって決して正確なわけではない。それなのに、彼らの演奏は美しく、深く心に突き刺さるのである。なぜだろう。
 この映画の上映会を主催したのは「命輝け第九コンサートの会」という、ハンディのある人もない人もともに歓喜の歌を歌うという活動を、京都を中心に行っているNPO法人である。通常の4声のほかに、ハンディがある人も歌いやすいように音域の狭い第5パートを作り、長い練習をしてベートーベンを歌いあげる。この合唱も決して「上手な」演奏とは言えない。しかし、このコンサートは強い感動を呼び起こす。なぜだろう。
 この障がい者による二つの音楽と辻井伸行さんの音楽とは、いわゆるプロの耳にはまったく違って聞こえるだろう。しかし、他のことをそぎ落として「ただ音楽だけ寄り添い打ち込む」というシンプルで純粋な姿は共通している。それがプロとアマとの違いを越えて、聞く者に強く働きかけるのではないか。
 そしてその感動は、確かに彼らにハンディがあるからこそである。しかし、それは決して「可哀想(かわいそう)だから」ではなく、ハンディゆえに彼らが持ち得た「純粋さという恩恵」のためであると思う。彼らの音楽は、ハンディがない(本当?)私にもどこかに置き去りにしてきた大事なものを思いださせ、また、ハンディとはいったい何なのかを考えさせるのである。
(京都大大学院文学研究科教授)

[京都新聞 2009年07月26日掲載]