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伊東久重氏 御所人形の技法 脈々と
いとう・ひさしげ 1944年、京都市生まれ。十二世を継承後、国内および海外で個展を開催。主な収蔵先は、皇居、東宮御所、京都迎賓館など。同志社女子大非常勤講師。

 夜中に人形を作る。酔っぱらって帰った時も人形に向かう。30年余り続く私の生活パターンである。夜がいいのは一口で言うと独りになれるから。夜は誰に邪魔されることなく仕事に打ち込める。クラシック音楽の時もあるが、多くは蛙(かえる)や虫の音をBGMにしながらである。そして夜が明け、表を散歩する人の足音が聞こえ周りがざわめきだす6時ごろに寝床に入る。当然のことながら朝は弱い。来客に寝ぼけた顔で応対することもしばしば。誠に申し訳ないことである。
 私の作る人形は御所人形である。江戸時代に天皇に拝謁(はいえつ)するため御所に参内した方に朝廷から下賜(かし)された人形である。私の家は後桜町天皇に召し出され宮中御用の御所人形司になり、光格天皇からは天皇家の御紋である十六菊花紋印を拝領するなど宮中の庇護(ひご)のもと代を重ねてきた。
 しかし明治になり大きな転機を迎える。東京遷都に伴い御所人形を下賜される習わしがなくなったのである。窮した八世は雛(ひな)人形や五月人形も作りはじめた。後を継いだ者も御所人形はもとより他の人形にも活路を見いだしていく。九世は市松人形や三つ折人形。代表作は月鉾の稚児人形「於兎麿(おとまろ)」である。十世は等身大の時代風俗人形。京都御所の一般公開に御殿に飾られている人形である。二条城二の丸御殿の人形や石山寺の「紫式部」なども十世の作である。
 「家を継ぐんやったら先祖の作った人形を修復できなあかん」。祖父からこう言い渡されたのは、父が亡くなり家を継ぐと心に誓った大学2年の夏であった。先祖の作った人形を修復するということは代々の者の技法を習得しなければならない。その日から祖父のもと修行をはじめた。
 私の家の御所人形は最も難しいといわれる木彫法を用いる。桐(きり)の木の彫刻からはじまり完成まで多くの行程を経て仕上げる。しかしその技法を祖父に詳しく教えてもらったことはない。「見てたらわかる。やってるうちに解(わか)ってくる」と。カーナビを頼りに運転すると道を覚えられないように、技術も己が身を持って習得するしかない。そこで祖父の人形や修復中の先祖の人形を手本にした。
 私も息子に手取り足とり教えたことはない。しかし私が寝ている時に見ているのであろう。息子の作る人形が私のものに似てきた。先祖の技を受け継いでくれたと思うと嬉(うれ)しい。今月、息子は東京で初めての個展をする。楽しみである。
(有職御人形司)

[京都新聞 2010年10月17日掲載]