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三浦基氏 「今日、見る劇がない」
三浦基氏 みうら・もとい 1973年、福岡県生まれ。ロンドン・グローブ座やモスクワ芸術座から日本を代表する演出家として招かれるなど海外での活躍も著しい。劇団地点代表。

 突然だけど、人は毎日、劇を見ることができるのだろうか?結論からすると私はできた。東京での大学時代、そしてパリでの研修時代、年間300本以上見ていたのだから。皆さんは私のことを特殊な人間と思うかもしれない。または劇をつくることを職業としているわけだから当たり前だと思うだろうか。しかし、劇を毎日見ることは不健康である。とにかく疲れるのだ。なぜなら人は毎日、批評したり哲学したりして生きてゆくわけにはいかないからで、いちいち今見たものについて考えを巡らしたり何かを判断したりすることは、しんどい。
 京都で活動するようになって10年が経とうとしている。めっきり劇を見なくなった。健康論で言えば、京都に来て助かっているということになる。最近は海外で公演するようになって、短い滞在だが連日観劇すると、やはり大変に疲れて不健康になり帰ってくる。帰国後1週間はのんびりしないといけないわけだが、そのとき私はしみじみ京都に住んでいて良かったと思う。皆さんは私のこの京都田舎論に賛成してくださるでしょうか?健康な京都では、毎日批評したり哲学したりするのはしんどいので、数年に1本ぐらいの劇体験でちょうどいいだろうという優しい考え方です。ごめんなさい。私はそろそろこの健康に対してしびれをきらしてきました。毎日劇が見られるところに身をおきたくなってきたのです。
 劇場や舞台芸術フェスティバルは京都にもあり、時には刺激を受けることができます。しかしそれらは、毎日劇を提供するという考え方で運営されているのではありません。今私が意識しているのは「毎日、ある」ということです。私がどこかの劇場の芸術監督になったら「生活の中に芸術を」とか「日常の延長上に劇場がある」などと言うことになるでしょう。つまり「地域に根ざした文化芸術を」ということになりますね。
 だから皆さんには、先に告白しておきたかったのです。毎日劇を見る生活は特殊であり、そんなことを人はする必要がない。しかし、毎日そこにあることで、はじめて人は見ないということを選ぶことができる。考えなくてすむことは果たして人間にとって健康なことでしょうか? だから「皆さん、一緒にひとまず不健康になりましょう」というややこしいお誘いです。
 さて、まだ日本のどこにも私に芸術監督を依頼してくる劇場はありません。
(演出家)

[京都新聞 2012年09月09日掲載]