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三浦基氏 芸術監督制度と私のアトリエ
三浦基氏 みうら・もとい 1973年福岡県生まれ。劇団「地点」代表。平成23年度京都市芸術新人賞受賞。今年7月、京都市左京区北白川にアトリエ「アンダースロー」をオープン。

 なぜ日本の劇場で芸術監督制度が主流にならないのか。
 最近気づいたことがある。日本人は特定の個人に何かを任せるという責任の取り方が苦手なのではないか。集団として動くことには比較的慣れていて得意だけれども、その集団の特定の誰かが前面に出て活躍することをあまり好まないのではないだろうか。日本で首相の顔がころころ変わるのは、実はそれを組織しているシステム、つまり顔を見せないで済む人々の総意なのかもしれないとすら思う。
 日本の行政は「公共」を集団の未来へ向けての意志を反映するものとしてよりも、既存の価値観を平均化したものとして扱いがちだ。先導者を持ち上げて出しゃばらせたら大変で、あとで責任が取れない。私たちは官僚の悪口を言う前に、誰かを信任することもせず、自ら責任も取らないシステムに安住しているかもしれない自分自身について考えなければならない。
 さて、芸術において、個人に任せる裁量を欠くとどうなるのかと考えると、もはや芸術が成り立たないことは自明だろう。しかし、日本の文化行政、特に公共劇場がピリッとしないのは、特定の個人に任せるということができないからに他ならない。外国の劇場で芸術監督が交替すると、劇場は自動的に工事に入る。新芸術監督の意向によって、ロビーはもちろんのこと劇場内部の装飾に至るまで、改装しなければならないからである。観客は、そのセンスを品定めし、良いとか悪いとか話題になるのである。
 日本においてこのような現象はまだほとんどない。私の劇団「地点」は、これまで外国のカンパニーに負けないくらいの公的助成を得て活動してきた。ここ数十年で日本の文化行政は明らかに発展していて、私もその恩恵を受けていることになる。だがここに来て、芸術に対する公的支援のあり方に限界を感じてもいる。個人を尊重する度量が日本の「公共」に備わっていないのではないか?
 私はこの夏、ついに自前のアトリエを構えることにした。毎日の稽古と発表を行う場だ。小さな空間でも、そこに人が集まれば公共性が問われる。演劇行為がそもそも公共性を担うものであることを、拠点を持って本気で証明したい。「公共」のあり方を芸術の側から揺さぶる試みだ。
 ちなみにアトリエの名前は「アンダースロー」。今やめったに見ない投球手法です。
(演出家)

[京都新聞 2013年05月19日掲載]