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安冨歩氏 視線から差別の本質考える

安冨歩氏 やすとみ・あゆむ 1963年生まれ。京都大卒。銀行勤務から研究職に。森嶋通夫氏らに師事。京大人文科学研究所などを経て現職。著書に『原発危機と「東大話法」』など。


 写真の私の姿は、おそらく女性に見えているはずです。しかし、いわゆる性別は「男性」です。「いわゆる」というのは、身体のごく一部、特定の部分の形状に偏執的な興味を抱き、それに従って人間を男女に区分けする、不思議な社会常識に従えば、という意味です。
 拙著『ありのままの私』(ぴあ社)で私は「女性装」という概念を提案しました。というのも、私は「自分は女性だから女性の格好をする」と感じるからです。私は女装しているのではなく、女性装しているわけです。私が女性装するようになったのは2年前です。私の体型はどこか女っぽいので、男物が合わずに困っていたら、つれあい(女性です)が、女物をためしたら、と提案してくれたからです。そしたら身体にも心にも女物がフィットすることがわかったのです。
 幸いにも日本には、異性装に対する宗教的抑圧がなく、このような姿をしているからといって、襲撃されたりすることはありません。国によっては今でもそれだけで投獄されるところも多いのです。その意味で日本は異性装者にとって助かる国ではあります。しかしそれでも、外出先で見知らぬ人からジロジロ見られることはあります。今では女性だと思われることが多くなって減りましたが「駆け出し」の頃は頻繁でした。
 この経験は私にとって衝撃的でした。「白い目」とは、こういう目のことを言うのか、と大変勉強になりました。異性装しているというだけで、多くの人が、不躾(ぶしつけ)な視線を平気で向けることを知ったことに、衝撃を受けたのです。
 そして私は、この視線こそが「差別」の実体であり、その視線によって私が「異常」とされているのだと理解しました。最近はLGBTという言葉が話題になっています。同性愛者や私のような異性装者などを指し、「性的少数者」とも言われます。しかし実は、「ゲイ」も「レズ」も「バイセクシャル」も女装者も「実在」しないのです。実際にあるのは、性的指向を口実にした暴力・白い目だけです。そういう暴力を向けられる人々を実体化することが、差別の本質です。
 差別は、差別する人の問題が露呈する現象に過ぎず、白い目は、向けている人の抱える内面的問題の表出にほかなりません。それはおそらく、「立場」に束縛されて、ありのままの自分を生きられない、そのような苦悩の表出であり、自らの逸脱に怯(おび)えるがゆえに、「逸脱者」に白い目を向けるのです。
 私は、ありのままの自分を求めて女性装することで、このようなことに気づいたのです。

(東京大学東洋文化研究所教授)

[京都新聞 2015年12月04日掲載]