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菊池由貴子氏 ひとりで作る被災地の新聞

菊池由貴子氏 きくち・ゆきこ 1974年生まれ。岩手大学農学部獣医学科を病気退学し、帰郷。東日本大震災に遭遇し、2012年に週刊新聞「大槌新聞」を創刊。町内全戸に無料配布。今年4月に有料化。


 私が生まれ育ち、今も暮らす岩手県大槌町では、東日本大震災で市街地が壊滅し、町民の約1割が死亡または行方不明になった。震災後しばらくはテレビやネットを見ることができず、近隣4市町をカバーしていた地域紙「岩手東海新聞」は被災で廃刊。町は情報不足に陥った。
 「町民が、町民向けに書いた町の新聞」が必要と思い、未経験ながら2012年6月30日に大槌新聞を創刊し、今月で5年を迎えた。タブロイド判4ページで週1回発行。復興情報中心に役場や議会を取材し、素人の自分でもわかる簡単な言葉を使い、大きな活字で伝えている。
 市町村単位の新聞は全国的にそう多くはないと聞くが、発行を重ねる度にその必要性を実感する。
 理由は大きく分けて三つ。一つ目は記事の量の問題。「震災復興」と言っても被災状況や復興状況、課題などは、県どころか市町村ごとに異なる。ところが、全国紙は原発事故があった福島県に注目し、県紙は被災した沿岸12市町村の概要を伝えるのがやっと。二つ目は目線の違い。全国紙は東京目線の新聞、県紙は県庁所在地目線の新聞に感じる。
 三つ目は当事者意識の問題で、これが最も重要ではないか。私は町の出来事に一喜一憂し、定例記者会見では数多く質問するが、通常2~3年で任地が変わる全国紙や県紙の記者にはしょせん人ごとだろう。特に、東京在住のメディア関係者はそれが顕著に現れる。自分が暮らし、やがて死んでいく町で新聞を書かない限り、当事者意識は持ちにくい。
 天下国家を論じ、主義主張や娯楽情報を伝える新聞は数多くあるが、身近な情報を取り上げ、住民自身に考えてもらえる新聞も必要ではないか。民主主義の劣化が世界中で問題になっているが、原因の一つは新聞にあると感じる。民主主義の担い手である国民一人一人が自ら考え、行動しなければ世の中は変わらない。
 私は、自分の町について知れば知るほど、「この町を良くするためにはどうしたらいいのか」と考えるようになった。同時に、福島原発や沖縄問題、世界中で行われている圧政などが人ごとに思えなくなった。地域から、国や世界を見つめた記事をいつの日か書きたいと思っている。
 大槌新聞社は取材や編集、事務や営業までを私一人でこなす「一人新聞社」だ。経営は大変だが、新聞の原点は地域にあると確信している。
 「うちの会社はダメだ」「記事を書いても読者から何の反響もない」「記事を書く以外の仕事に回された」などと嘆く記者の皆さん。自分で市町村新聞を立ち上げることを考えてみてはいかがでしょうか。

(大槌新聞記者)

[京都新聞 2017年06月30日掲載]