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横浜でカンファレンス

開国導いた直弼を称賛
「三方よしの精神は、横浜や世界に通じる」と話す田原さん(横浜市・開港記念会館)
 国宝・彦根城築城四百年祭実行委は二十一日、「開国カンファレンス 横浜ステージ」を、横浜市中区の開港記念会館で催した。十三代彦根藩主の井伊直弼(一八一五−六〇)が幕末の激動期に果たした役割について、ジャーナリスト田原総一朗さんや研究者が意見を述べた。
 直弼は幕府大老として日米修好通商条約に調印して開国に導いたが、桜田門外の変で水戸藩浪士に暗殺された。
 約百五十人の参加者を前に、彦根市出身の田原さんが「開国/横浜と彦根」と題して基調講演した。反対を押し切って直弼が開国したことについて田原さんは「国際情勢を見すえた賢明な判断だった。尊王攘夷(じょうい)派の主張通りに戦っていたら、アヘン戦争で負けた中国のようになっていただろう」と述べた。
 また、社会性を重んじた近江商人の「三方よし」の精神は、開国とともに発展した横浜の国際的な気質と共通していると指摘。「自分と相手以外にも視野を広げる三方よしの精神こそ、混沌(こんとん)とした現在の世界情勢で日本が外交的にも経済的にも進むべき指針になる」と話した。
 引き続いて、作家の八幡和郎氏と横浜開港資料館調査研究員の西川武臣氏、彦根城博物館史料係長の渡辺恒一氏が「鼎談(ていだん) 井伊直弼と開国・横浜開港」で意見を交わした。

 「鼎談 井伊直弼と開国・横浜開港」発言要旨(敬称略)

 渡辺恒一「居合や禅を修行した直弼の個人資質は、根本原理や精神性を重視しながらも、柳の木のようにしなやかに臨機応変に対応することを究極の理想とした。原則を貫こうとする姿勢が、後に大老としての政治的な決断にも大きく影響したのだろう」
 西川武臣「半農半漁の村にすぎなかった横浜が、短期間に近代都市になったのは、実質的な井伊政権下で都市基盤が整備されたからだ。そこで生み出された鉄道や交易・外交機関などが、日本の近代化に与えた影響は大きい」
 八幡和郎「江戸屋敷で生まれ、藩主になってからお国入りする一般的な殿様は、あまり教育を受けていなかった。しかし、直弼は彦根で育ち、藩主になるまでさまざまなことを学び、世情にも詳しかったという出自の特殊性があった。幕府が老中政治を継続しようとするなかで、直弼は実力会長的な大老になろうとした」
【2007年4月22日掲載】