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(8)楽々園の玄関

暮らしぶり伝える 堂々とした造り
幕府大老を務めた井伊直弼も、楽々園で生まれた
 鳥が優雅に羽を広げたような形の唐破風(からはふ)屋根に、懸魚(けぎょ)と呼ばれる彫刻の装飾が施されている。重厚な趣の柱とは対照的に、真新しい白壁が新緑に映える。
 井伊家の下屋敷だった「楽々園」で、玄関棟を復元する工事がこのほど、完成した。玄宮園の西の奥にある出口を抜けて右手の小道を進むと、堂々たる姿を見ることができる。見えにくい場所にあるため、気づかずに通り過ぎる観光客も多い。
 楽々園は「槻(けやき)御殿」とも呼ばれた。藩の政庁だった表御殿と異なり、藩主の家族が日常生活を営んだ。御書院など十数棟が千四百平方メートルの広大な敷地に残り、譜代筆頭の格式を誇った大名家の暮らしぶりの一端を伝える。最盛時には今の十倍におよぶ規模の建物が立ち並んでいたという。見学者には広々とした印象を与える玄宮園も、御殿に付随した庭にすぎなかった。
 玄関棟に始まった楽々園の修理事業では、現存しない茶室や門も文献や絵図に基づき復元される。往事の姿をよみがえらせるには、完成まで二十年という気の遠くなるような歳月を要するという。
【2007年4月24日掲載】