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(27)宗安寺の赤門

重厚な柱や梁 佐和山城から移築
江戸期には、彦根に到着した朝鮮通信使の高官が、赤門をくぐった
 彦根城の京橋から西へ延びるキャッスルロード沿いに、「赤門」の名で知られる宗安寺の表門が立っている。重厚な朱塗りの柱や梁(はり)がどっしりとした瓦屋根を支える。江戸期には、彦根の城下町を挙げて歓迎した朝鮮通信使の高官が同寺に宿泊した。きらびやかな一行を迎えたこの門は、佐和山城の城門を移築した、と伝わる。
 戦国武将石田三成の居城だった佐和山城は、湖上と街道を結ぶ近江の重要拠点に、五層の天守閣や二重の堀を備えた名城としてたたえられた。関ケ原の合戦で落城直後に城主となったのが、合戦で武勲を挙げた彦根藩の初代藩主井伊直政だった。
 西国防御の拠点として、徳川幕府の命で新たに彦根城が築かれた時に佐和山城は破壊され、石や木材は転用された。佐和山に城の面影はほとんど残っていない。
 宗安寺から東約一キロ離れた佐和山のふもとに、高さ十八メートルの模擬天守閣が十六日まで掲げられている。市民や三成ファンが手作りで描いた天守閣には、悲運の武将と城の歴史を今に伝えようとの思いがこもっている。
【2007年9月11日掲載】