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眺望をひらく(1)

直訴 崩れゆく町並み、再生期す
高層、中層、低層の建築物が混在する町並み。歴史を積み重ね、風情ある古都の景観が失われている(京都市上京区)
 「街がね、病気になっているんです」
 昨年十一月、京都市役所(中京区)で桝本頼兼市長に新景観政策の実現を求めて答申した「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」の西島安則会長(元京都大総長)は、市長との懇談や記者会見の場で何度もこの言葉を口にした。
 病気とは景観の破壊。京都の町並みは、バブル期から大きく変わった。東京や大阪の大手開発業者が次々と進出し、土地を買いあさった。熱が冷め、不況は繊維業界も直撃。瓦屋根の町家が並ぶ室町や西陣では、問屋や工房が閉鎖され、跡地にマンションや三階建て住宅が増えた。
 「昔は二階建ての家の屋根に上れば、大文字が見えた」。西陣に生まれ育った男性(六六)はいう。北野天満宮に通じる元誓願寺通から眺めると、一筋北の今出川通沿いにマンションがついたてのように並ぶ。
 市の調査では、一九九八年度に上京、中京、下京、東山の都心四区に約二万八千軒あった町家は、その後の七年間に13%も減った。二〇〇三年までの十年でマンションを含む共同住宅の戸数は中京区で74%、下京区で95%も増え、区内の住宅戸数の六割を占めるようになった。現れたのは、低層、中層、高層の建物が無秩序に混在する町並みだった。
 市は、戦前から三山の山すそは風致地区など厳しい規制をかけ保全対策をとってきたが、市街地の高さ規制には踏み込めなかった。十三年前、高さ六十メートルへの京都ホテル(中京区、現京都ホテルオークラ)改築では、公開空地の提供を条件とする「総合設計制度」の適用で、規制より十五メートルの上乗せを認めた。活性化が求められる時代背景があり、都心ではマンション問題が噴出した。
 そんな中、事態を動かすきっかけがあった。六年前、青蓮院(東山区)の門前に大手商社系会社による五階建てマンション計画が浮上した。この時、桝本市長は商社の社長に手紙を書いた。
 「祇園から知恩院、青蓮院を経て、平安神宮に至るかいわいには、最も京都らしい姿が残っている。社会的責任を果たしてほしい」。法令に適合しているマンションの規模縮小を直訴。その後、思いは通じたという。
 〇四年十二月には景観法が施行され、景観が公共の資産に位置づけられた。これにも後押しされ、市長は高さ規制の引き下げを決断した。
 翌年、設置した審議会は、答申に「山紫水明の豊かな自然と、歴史的遺産や風情ある町並みが融合し、重なり合ってはぐくまれた」という京都の姿が、「無秩序な都市景観の出現で変容した」と明記した。これを受けて、古都に指定された他都市の景観行政が指導による限られた対策にとどまる中、全国で最も厳しい規制を盛り込んだ新景観政策案ができた。
 「何もしなければ町家が消え、京都が全国どこにでもあるような街になる」。桝本市長が百年後に思い描く京都は、「都市格が上がった永遠の都市」。この実現に「政治生命をかける」と言い切る。
【2007年2月5日掲載】