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揺らぐ70年前の教訓 軍学共同の道(2)

防衛装備庁「安全保障技術研究推進制度」への対応状況
防衛装備庁「安全保障技術研究推進制度」への対応状況

 「8月25日(土) 午後 教授会 夜に入って風雨強 台風通過らし」。後に日本人初のノーベル賞(物理学)を受賞した湯川秀樹博士が、太平洋戦争終結からわずか10日後の日記に書きとめた。この日の京都帝国大理学部の教授会では重大事項が告げられていた。湯川博士が内容を記した自筆メモがある。

 「機密書類の処理」「戦時研究に関するものは委託者に連絡処理」「敵に利用さるヽおそれある書類は焼却」。文部省からの指示や多岐にわたる取り決めが記されている。B5判わら半紙2枚の表裏に記された文字から、本来は公開され真理を追求すべき学問が、秘密とされ歴史から消された闇が浮かぶ。

 軍事研究という後ろめたさ。京大でも多くの研究記録が廃棄された。

 戦中、京大はさまざまな分野で戦争に協力した。その一つが原爆の「F研究」。湯川日記1945年10月3日付には、「(マッカーサーの)司令部に提出すべき研究報告書作製に忙がし」との記述がある。報告書の下書きとみられる書類の「戦時中ノ研究」欄には「地位 戦時研究員 1945内命 正式発令なし」「研究項目 原子核反応ノ理論」などと書かれている。

 戦後は核兵器廃絶を説き続けた湯川博士だが、自身とF研究については何も語らなかった。

 軍部の資金提供を受け、進んで、あるいは拒めず兵器開発や軍事研究をした七十数年前の科学者たち。原爆研究に関わった物理学者ら科学者は、第2次世界大戦で科学の発達によって失われた多くの人命と惨禍を目の当たりにした。深い反省と悔悟。戦後、日本学術会議を発足させ、50年には「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」とする声明を採択した。

 この声明が、戦後長く日本の科学者の倫理規範であり続けた。

 原子力は兵器として登場したが、平和利用の期待もあった。52年に占領が終わると、原子力開発の声が上がる。

 慶応大名誉教授の小沼通二さん(86)は、核の平和利用推進に不安を覚える若い研究者らの熱気を覚えている。戦後7年、52年9月。東京大理学部の会議室に大勢が集まり、原子力開発を主張する学者に詰め寄った。

 教室は人であふれ、東京大の学生だった小沼さんは背伸びして前の人の肩越しに顔を出し、必死でメモを取った。ようやくキノコ雲の下で起きた放射能の被害が知られ始めていた。米国でもまだ本格的な平和利用は進んでいない段階。「このままどんどんのめり込めば日本の原爆開発につながると危惧した」と振り返る。

 小沼さんは20代で日本学術会議の原子核特別委員会委員を務め、湯川博士と平和活動に取り組んだ。

 「デュアルユース(軍事と民生の両用)」を掲げ、防衛省が研究費助成する現代に危機を感じている。「科学にはプラスだけではなく必ずマイナスもある。負の側面を軽視、無視して問題が起きれば『想定外』との責任逃れは倫理的に許されない。手遅れにならないよう、科学者は発言を続けるべき」と訴える。

 2017年度に110億円に増大された防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に対し、大学からの応募は、採用こそなかったものの前年度並みの22件と微増。出どころがどこでも、研究資金を熱望する教員はいる。

 昨年から科学者の倫理とのジレンマに、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」は揺れた。秘密にされること、研究の方向性が政府介入でゆがめられることへの懸念の一方、軍事研究の定義や、民生研究との境界でも異論があった。自衛目的なら認めるべきとの声もあった。今年4月。軍事研究をしないと掲げた50年と67年の声明を「継承する」との声明を出した。

 「軍学共同反対滋賀連絡会」共同代表の成瀬龍夫・元滋賀大学長は「気をつけるべきは理工系だけではない。防衛装備庁の研究テーマではビッグデータの活用も入っていた。滋賀大はデータサイエンス学部をつくっている。心理学も戦争に応用でき、文系学部も無関係ではない」と警鐘を鳴らす。

【2017年11月25日掲載】