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第2部「小さな命に寄り添って」

(1)妊娠11週目「ダウン症」 〜母は迷わず産む選択
慈美ちゃんの写真と誕生の時の大きさに作った人形を囲む家族。家族の心に慈美ちゃんは生きている(京都市西京区)
 きょうの先生、なに言うたはるのやろ? 産婦人科医の診察室で、京都市西京区の田中直美さん(三八)は医師の言葉が理解できなかった。「中絶する人もおられますが」。えっ中絶? なんで私が?
 妊娠十一週目。生を授かった喜びを超音波検査の画像に見て、感激した矢先だった。医師が顔を曇らせる。「ダウン症の可能性があります」
 ダウン症は染色体の異常で、知的発達の遅れや心疾患の合併症を伴うことがある。近年精度を増した超音波機器がお腹の赤ちゃんのその兆候を偶然とらえた。
 三年前のこと。直美さんはかつて三人目を流産した経験がある。「今度は何があっても守ってあげる」。中絶など全く考えなかった。
 板金工の夫の孝雄さん(五八)は反対した。「障害児を育てる自信はない。将来、上の子二人も偏見の目でみられるかもしれない」。直美さんは泣いて抵抗した。既に赤ちゃんが体を伸ばすような胎動を感じる。「お母さん、頑張って」。まるでそう言ってくれているようだった。
 直美さんも三人兄弟の末っ子だ。母が身ごもった時、直美さんの父は失業中で、周囲から出産を猛反対された。「本当につらくて、一緒に死のうと思ったんよ」。母から何度も聞かされた。
 生きていればきっと母は言うだろう。あんた絶対産みや。乗り越えられない困難はないんや。絶対頑張れるんやで−。
 中学の時に習っていた空手の道場で知り合い、長年支えてきてくれた夫との間に風が吹く。夫婦の会話がなくなった。五歳の長女と三歳の長男が誕生を心待ちにしてくれたのが救いだった。
 「慈美(ちかみ)」。周りを温かくするような慈愛あふれる子になってほしい。そう赤ちゃんの名前を決めた。「就職も大変だから、将来はクッキー屋さんしようね。お母さんも手伝うよ」。お腹をさすり、夢を語りかけた。
 「ちかちゃんのベッドがほしいね」。出産が近づき、直美さんが子どもに話していると、孝雄さんがつぶやいた。「わしが作ったる」。新しい命を家族で迎える準備がようやく整った。

決めるのは親でなく、赤ちゃんなの

 慈美ちゃんは元気な産声を響かせた。しかし…。ダウン症より重度の染色体異常のため、心臓に重い障害があった。
 手術の結果が思わしくない。直美さんが右手を握る。孝雄さんは頭をなで続けた。「ちかちゃんっ」。誕生から十六日後。あまりにも短い生を閉じた。
 昨年末、助産師を目指す学生を前に、直美さんは体験を初めて語った。やっと話せるようになった。
 「出生前診断が盛んですが、ちかちゃんは重い障害を持っても元気に生まれてきてくれた」。その頑張りに母として報いるため、伝えていこうと思う。「生まれるかどうかを決めるのは親でなく、赤ちゃん自身なの」と。
 赤ちゃんや子どもを取り巻く医療、福祉が大きく進歩する。小児医療の進展は同時に、これまでになかった問題を生み出している。壊れそうになりながらも、小さな命に寄り添い、生の灯をまもろうとする家族を訪ねた。

安易な中絶 拡大懸念

 昔なら生まれてくるまでわからなかった赤ちゃんの状況が医療や検査機器の進歩で、お腹にいるときからかなり詳しくわかるようになってきた。
 胎児の出生前診断には超音波検査のほかにも▽羊水中の胎児の組織を調べる羊水検査▽胎盤の組織を採取するじゅう毛検査▽妊婦の血液を検査する母体血清マーカーテスト−などがある。本来は胎児の早期治療や安全な分べん、出産後の的確な治療に活用されるべきものだが、障害が早期に見つかることで中絶につながる恐れもあり、安易な利用には批判が強い。
 一九四八年制定の優生保護法は「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止する」ことを目的のひとつとして、病気や先天異常を理由に中絶を認める差別的な条項があった。法の優生思想への批判が根強かったことから、差別的条項は九六年に削除され、名称も「母体保護法」に改められた。現在、胎児の障害や病気を理由にした中絶は法律上、認められていない。
 しかし現実には、母体保護法に「妊娠継続や分べんが身体的、経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」場合は中絶できるという条項がある。このことから「障害児を育てるのは経済的に不可能だ」などといった理由で中絶するケースも多い。

進歩する出生前診断

 生殖医療の進歩で、近年は体外受精させた受精卵の染色体を調べ、異常のない受精卵を母体に戻す「着床前診断」も可能になった。日本産婦人科学会は原則的にこれを認めていないが、公然と行う産婦人科医もおり、論争を巻き起こしている。
 超音波検査で先天性異常の可能性が偶然分かるようになったことで、その取り扱いに悩む医療現場もある。京都民医連中央病院(京都市中京区)は一昨年にガイドラインを作り、先天性異常の兆候が見つかっても妊婦に伝えないことをあらかじめ文書で通知することにした。同病院倫理委員会の北村隆人副委員長は「障害は否定的にとられる恐れがあるが、障害があってもいいじゃないかとアンチテーゼを出したかった」と話す。病院の西田秀隆医師も「もう誰も出生前診断から逃れらなくなっている。障害者が生きやすい社会づくりに向け、もし生まれてくる子に障害が見つかったらどうするか、結論はどうあれ、一人一人が考えてほしい」と話している。
「折れない葦」取材班=社会報道部 目黒重幸、勝聡子、写真報道部 梶田茂樹、坂本佳文