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第3部「福祉に届かない声」

(2)地域・行政の目 届かず 〜そこまで追い詰められていたとは…
ゲームで使う的を描くお年寄り。デイサービスセンターはレクリエーションの場所ともなる(京都市中京区)
 十六日午前十時。京都地裁205号法廷の被告人席に、長男(五九)は座った。介護疲れから京都市下京区の自宅で父(九一)を殺害し、迎えた初公判。
 検察官が起訴状を淡々と読み上げる。「とっさに起こしてしまいました」。長男はしっかりとした口調で答えた。
 傍聴席に母(八五)の姿はなく、姉弟が座っていた。閉廷。立ち去る時、長男が家族に目を合わすことはなかった。
 父はかつて家具工房を構え、職人を雇っていた。仕事を辞めてから、大峰山や四国巡礼にも出かけた。二男(五三)は早くに独立、二人の娘も結婚し、妻(八五)と長男の三人暮らしだった。
 自宅周辺は木造の古い住宅が並ぶ。鉾町に近く、夏は祇園祭でにぎわう。「高齢者を地域の力で支える」。近所のかかわりの大切さを、行政も重点課題に訴えてきた。京町家の残る周辺ははたしてどうだったのか。
 六十代の男性が事件前の長男の様子を語ってくれた。「年明けに会った時、少し疲れた様子で『おやじも自分も風邪で寝込んでる』と話していた。まさかそこまで追い詰められていたとは…」。玄関に「老人福祉員」の札。「対象は主に独居の高齢者で…」。申し訳なさそうに言った。
 長男は自宅に建築設計士の看板を掲げていた。近くの人は「仕事も減っていたみたいですし、親の年金といってもしれている。内情は苦しかったのと違いますか」。
 自治会長や消防団の夜警など、地域活動にも携わっていた長男は近所の人とも顔見知りで、家族が地域から孤立していた様子はない。

同居者あり、周囲安心

 自宅から数百メートル。特別養護老人ホームに「在宅介護支援センター」があった。
 京都市は市内八十七カ所の福祉事業者に、在介センターの業務を委託している。エリアを分けて、権利擁護や疲れた介護者への助言を行っているはずだが、職員は「この方とはかかわりがなかった。知っている者はいない」と言う。
 介護に問題を抱える家庭の情報は民生委員や老人福祉員を通して福祉事務所にも寄せられる。
 市の下京福祉事務所に尋ねると「これまでの報告にこの方はあがってない。注意が必要なケースとして把握はしていない」。父親の介護保険サービスの利用限度はまだ三分の一残っていた。職員は「(利用の)数字と事件の起こった状況が結び付かない」と首をかしげる。
 父は八十六歳のときに脳梗塞(こうそく)で倒れた。リハビリを続けて、半年後には自力で歩き、後遺症のない左手で食事もできるようになる。「ここまで回復できたのも頑張ったからだ」と知人によく話した。
 それでも介護は必要だった。助けがなくては着替えられない。食事も時間がかかる。おかずは食べやすいように小さく切り、入浴も事故がないか気配りしなければならない。家事と介護は高齢の母が担ってきた。
 三人家族のつつましい生活が昨年暮れ、狂った。母のリウマチが悪化する。担当のケアマネジャーがヘルパーの利用を持ちかけたが、長男は断った。押し迫った二十九日、母が入院する。長男の心が追い詰められつつあることに、周囲はだれも気付かなかった。

支援組織、予兆把握できず

京都市の高齢者地域支援イメージ
 長男(五九)が父親(九一)を殺害するという痛ましい事件を引き起こした京都市下京区の家庭の情報は、地元の介護支援ネットワーク組織に全く入っていなかった。
 地域で高齢者を支える仕組みづくりや支援を求める家庭の早期確認に向け、福祉事務所や民生委員、在宅介護支援センター、保健所などの集まる「地域ケア会議」が近年、各地で組織されている。京都市でも昨年度から行政区内のブロックや在介センターごとに開かれ、情報を交換している。下京区では七つの在介センターを三ブロックに分け、二カ月ごとに開催。お年寄りを見守るネットワークを構築している。
 在介センターは地域の在宅介護の窓口となる施設で、市が老人ホームや病院に業務を委託している。しかし殺害された父親が契約していたケアマネジャーは約二キロ離れた在介センターの職員。先に脳梗塞(こうそく)で入院した病院系列の在介センターで、居住地の支援ネットとは連携していなかった。
 支援計画を立案するケアマネを、介護保険制度では自由に選べる。契約先が遠方だと、担当のケアマネと自宅最寄りの在介センターや民生委員とが面識も接点もないことがあり得るわけだ。
 また民生委員にしてもボランティアで、どこまで地域の高齢者とかかわりが期待できるのだろうか。老人福祉員は下京区に九十二人、事件のあった学区に三人いるが、普段から見守りの対象としているのは「主に独居老人」で、幅広く地域のお年寄りを見守る体制は物理的にも困難だ。

すれ違う連携、窓口縮小化も

 四月から介護保険法の改正で、市町村に地域包括支援センターが置かれる。保健師に加えて社会福祉士が配置され、相談や事例の早期対応にあたる。
 京都市は在介センター八十七カ所を包括支援センター六十カ所に移行させる。所管するエリアはおおむね中学校区。高齢者虐待ネットの拠点ともなり、権利擁護の中核となる機能が期待される。
 包括センターに移行されず閉鎖する在介センターでは、これまでの相談業務や地域とのパイプは最寄りのセンターに引き継がれるが、住民サービスの低下を危ぶむ声もある。ある特別養護老人ホームは京都市から受託してきた在介センターを今月いっぱいで閉じる。地域で開かれる高齢者の健康教室に職員が出席し、実態把握に努めてきた。民生委員や老人福祉員と月一回、情報交換会も開いてきた。取り組みは別のセンターに引き継がれるが、職員は「せっかく顔なじみになって、身の上話もできるようになった。窓口がなくなることに不安を感じるお年寄りも多い」と懸念する。
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 施設入所を申し込んでも長期間待たされる待機問題も深刻だ。厚生労働省がまとめた全国の特養ホームの待機者(二〇〇四年十一月)は定員三十四万六千人とほぼ同数の三十四万人。おおむね四割が在宅で待機している。
 ショートステイは一時的に入所し宿泊介護を受けられるサービスだが、介護を担う家族の実情に応じた受け入れが求められても、現状はどこの施設も満床で、希望通りの利用が難しい。京都市下京区のショートステイ事業所十カ所を取材したが「予約は三カ月先までいっぱい」「盆と正月は特に希望が多い」という。
 市は緊急利用者援護事業として市内五カ所の事業所を指定し、それぞれ常時五床の空きを確保することにしている。しかし現実は「常時、緊急で埋まっている」「例え空いていても、十日以上預かるのは厳しい」と職員は悲鳴を上げる。さらに人工透析や経管栄養といった医療行為を伴う場合は受け入れていない。
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 介護のストレスは施設の職員にも重圧となってのしかかる。〇四年秋、南区の病院で、寝たきりや意思疎通のできない高齢の入院患者六人に対し、看護助手がつめをはがすという事件があった。
 入浴介助、おむつ交換…。公判記録によると、看護助手は「患者と意思疎通がなく、重労働が多くなる。やりがいがない」「次々に仕事を言われ、時間に追われる。つらいな、嫌だなと思いながら」と供述した。常時介護の重症患者が多く、わずかな看護助手で対応するのは経験したことがない慌ただしさだった、と同僚も証言している。