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第3部「福祉に届かない声」

(9)文化的な生活を問う
街をゆく野田勝治さん。風は冷たいが、温かい声をかけてくる人たちはいる(京都市南区)
 「おっちゃん、おはよう」。かかりつけの病院から自宅への道を車いすで行く野田勝治さん(四六)=京都市南区=に、保育園で遊ぶ子が声をかけてきた。手をあげ、子どもたちにほほ笑む。
 「おはようって、子どもから声をかけてくれたやろ?」。野田さんは得意げだ。ビデオで追っていた弁護士が「すいません、突然なんで撮ってませんでした」。
 子どもたちと野田さんは近所の公園で仲良しになった。保育園の先生とも、就学前保育支援のかかわりで顔見知りだ。すれ違った近所の人が何人か、会釈していく。
 わしみたいなおっさんでも子どもたちは慕ってくれる。何して遊ぼ? 砂遊びをしようって。子どもが声かけてくれること、生きがいやねん。生きた証しって言うか…。「撮ってくれてると思ったのに、ビデオ回してへんのやからなあ」。残念そうだが、言い方は温かい。
 野田さんは右腕と足が不自由で、椎間板(ついかんばん)ヘルニアや心臓の持病もある身体障害者。生活保護を一九九七年から受けている。
 ビデオ撮影の一週間前。野田さんの生活保護裁判の控訴審が大阪高裁で始まった。野田さんは体調を崩し、予定の意見陳述ができなかった。
 障害年金を収入と認定して生活保護費を減額されると社会参加するための交通費が足りない。それで健康で文化的な最低限度の生活といえるだろうか。一審の京都地裁が認めなかった悔しさを自分の言葉で法廷で訴えるはずだった。「原告の日常生活をビデオ記録して提出します」。弁護団は告げた。
 マンション出入り口の段差、病院の前の坂、リフト付きバスのない路線。お風呂も毎日入りたいが、ヘルパーの入浴介助がある週一回だけ。弁護士の回すビデオが社会への壁を記録していく。

生活保護 外出に壁 「もっと外へ、人に会いたい」

 敗訴した一審判決の後、うつ病や心臓疾患が再発して入院。訓練も始めて楽しみにしていた介助犬の話も立ち消えになった。この冬。外出もせず、食事も日に一回しか取らずに元気をなくしていた。
 提訴したころの野田さんは、ホームレスの人を支援する「京都夜回りの会」の活動に車いすで参加していた。花園大(右京区)の公開講座にも通った。生活保護を受けている人たちの相談を受け、筋が通らないと思えば、福祉事務所への交渉にも付き添った。しかし野田さんに「社会参加の話をもっと詳しく」と頼むと、控えめになる。「ま、ちょこっと。それはあんまり。年数回かな」
 もっと外へ。人と会いたいが行けなかった。夜回りの会で出会った人の名刺を出して人柄や消息を語ったり、書き込みのある公開講座での配布資料を大切に保存したりしている様子は切ない。
 全国初の裁判を京都地裁に起こした二〇〇三年。励ましの声があった。だが「生活保護の世話になってるもんは、おとなしくしとけ」と嫌がらせも受けた。
 「生活保護を受けてたら、障害者やったら、家に閉じこもってなあかんのか」。野田さんは握力のない拳を握る。「下を向くことないんや」

障害年金、「収入」と認定され 生活保護費の減額

野田勝治さんの1ヶ月の家計状況
 京都市南区の野田勝治さん(四六)は月額約六万七千円の障害年金を受けている。その障害年金を京都市は収入と認定し、生活保護費を約九万円に減額。野田さんは月約十六万円で暮らしている。一人暮らしの車いす使用者が、普通の社会生活を営むのに十分な額なのかどうか。障害がない人との受給額の差は、生活保護の障害加算分の約二万円にすぎない。
 家に閉じこもり、今のように一日一食なら、生きていける額かもしれない。しかし気分転換に街に出たい。人にも会いたい。たまには図書館に行きたい。人との出会いは、野田さんにとって命綱だ。生活保護費の枠が車いすの使用者に立ちふさがる。
 大学の公開講座へ、野田さんは自宅最寄りのバス停から202系統の市バスで行くことができる。しかしこの路線にリフト付きのバスは一台も配車されていない。鉄道はJR西大路駅が最寄りだが、エレベーターがない。介護者がいないため、どうしてもタクシーを使わざるを得ない。
 「リフト付きバスは、あらかじめ電話で乗車日・時刻を」。バス停にそう書いてあった。市交通局によると、市バス全七百五十台のうち、車いすで乗れるリフト付きのバスは今月末で計二十一両しかない。野田さん宅から四条河原町までタクシーで行くと、障害手帳を見せて割引を受けても往復約三千円。食費を削って、移動費にあててきた。それは「ぜいたく」なのだろうか。

自立とは何か 根源から問う

 障害年金を「収入」とみなすのは憲法違反だとして、市に取り消しを求めた野田さんの訴えを、昨年十月の京都地裁は認めなかった。社会参加を保障する。そのための障害年金ではないのか。強い思いで大阪高裁に場を移し、係争中だ。
 桃山学院大の瀧澤仁唱教授は、自立という言葉が福祉・障害者関連の法律に使われている件数を検索し、数えてみた。百二十三件あった。増えたのは近年の動きだが、自立とはどういう意味なのか、定義している法律は一件もなかった。
 「自立」とは国の金を使わず、権利保障ないまま本人に負担を強いることに思える。
 「社会参加と移動の保障、障害者がその障害ゆえに出費せざるを得ない状況を法的にどうとらえるか。野田さんの裁判は自立とは何かを根源から問うている」と話す。
    ◇
 「赤の他人様が汗水働いた税金です。私どもの感覚では身内から生活保護を受けるというのは恥で、世間に大きな顔をしておれません」。そう書いた匿名の手紙がこの連載に寄せられた。野田さんが闘っているのは、こうした意識と無理解だ。受給者は敗者ではない。笑顔とともに暮らしていい。
 一方で、大正生まれで高齢だと書くこの手紙の主が心配になりもした。「福祉のお世話になる」ことへの心理的抵抗感から、ぎりぎりまで耐えて、自殺や痛ましい事件に発展してしまう。世間体が一因となって爆発した家族の例は、連載で取り上げた以外にも決して少なくない。
 医療と福祉の谷間で倒れた人、介護する側の追いつめられていく状況を、第3部「福祉に届かない声」で追ってきた。困難な人生を歩んできた人は福祉の壁に突き当たると、それ以上強く訴えることなく、あきらめてしまうことがある。うまくSOSを発信できない人も多い。ひそかな悲鳴に、周囲がどう耳を傾けるか。格差社会の今、いたるところに悲鳴は満ちている。
=第3部おわり
 第3部「福祉に届かない声」は社会報道部の岡本晃明、清原稔也、仲屋聡と写真報道部の梶田茂樹、坂本佳文、グラフィック課の藤田和平が担当しました。シリーズ「折れない葦」へのご意見、ご感想をファクス、または電子メールでお寄せください。ファクス番号は075(252)5454、電子メールのアドレスはashi@mb.kyoto−np.co.jpです。