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第5部「この街で支え合う」

(2)妻の生活リズムで介護 〜認知症でも感性は失われず
君子さんの車いすを押しながら、政春さんは言った。「記憶が奪われる時期にきちんと支えられていたら、妻はもっと快適な生活を送れたのかもしれない」(京都市左京区)
 谷口政春さん(八二)の勤める病院に妻の君子さん(八一)が突然現れたのは、十三年前の冬の夕刻だった。自宅のある京都市左京区岩倉から約八キロ。ひとりでどうやって?
 君子さんが認知症と診断されて五年目。「来るべきときが来た」。内科医だった夫は決心した。妻のそばにいよう。
 「迎えが来ましたので帰ります」。「あそこで誰かが待っている」。そう言って、妻は頻繁に玄関を出て行くようになった。すぐ近くの公園にさしかかるころ、なぜ歩いているのか忘れてしまう。「寂しい」「帰ろう」と政春さんを誘うこともあった。一九九六年二十九回。九七年は百二十六回。はいかいに手をつないで同行した記録が介護ノートに残る。
 妻は言葉と文字も失っていった。九六年六月のノートにヘルパーの添え書きがある。「すらすら読まれるが書くとなると思い出されない…とても上手なだけに残念だ」
 妻の好きなことを一緒にやろうと夫は思った。慣れない針を持ち、並んで刺し子を縫う。歌の好きな君子さんのためにヘルパーが歌う。窓辺にじっと座っているだけだった妻は歌集を持ち出し「お父さんも」とせがむ。二人で合唱した。演歌も覚えた。認知症でも感性は失われず、新しい記憶が刻まれることを政春さんは知った。

無理な適応強い「周辺症状」

認知症を病む人の寂しさにどう向き合い、ケアに何ができるのか。認知症ケアの第一人者で、精神科医の小澤勲・種智院大客員教授に話を聞いた。小澤さんは自らがん告知を受け生と死を見つめつつ、認知症を生きる人に寄り添うあり方を発信し続けている。
      ◇
 自分でできることとやりたいことの間のギャップ、周囲と折り合いがつかないギャップが人にはある。認知症を生きる人はそのギャップに折り合いをつけられない不自由さがある。かつての「できる自分」にこだわり、それを捨てられずに困惑している。そのギャップが認知症では「周辺症状」として表れる。
 自分にはできなくなってきたことがたくさんある、どうも迷惑をかけているらしい…知的機能は低下しても感情機能は保持される。周辺症状はその不本意さの表現でもある。
 −認知症の周辺症状について、小澤氏は著書で例を挙げている。…タンスを開け閉めし「ない、ない」とイライラつぶやく人がいた。何がないのか尋ねると「それがわかっているなら、苦労せん」という。スタッフが「何をなくされたのか、忘れられたのですか」というと激怒した…
 この人は何を探しているか途中で忘れてしまった。探すことをやめると、何を探しているのかさえ忘れてしまった自分を認めることになる。それで探し続ける行為が残った。背景には、今の世の中では記憶がしっかりしている人が偉い人、そうでない人はだめな人…という一方的な「規範」が行き渡っている事情がある。彼は探し続けることで「できる」自分を保っている。もし「盗られたんだ」と考えることができれば、本人はちょっと楽になる。これが認知症の人に多い「もの盗られ妄想」へのひとつの道筋だと思う。

認知症、ケアさえあれば光り輝く

 私たちはケアの現場で、認知症を抱える人に無理に適応を強いているのではないか。そのことがさまざまな反応を引き起こしているのではないか。いつもそう疑い、反省してケアにあたらなければならない。
 今の規範や常識から家族と本人の両方が抜け出さないと、両者の抜き差しならない関係はいつまでも続く。それは非常に難しい。
 もし「好き好んで介護するわけじゃない」という気持ちがずっと続くだけなら、認知症の「家族の会」(京都市)なんてできない。会の中枢に残り、頑張っている人たちはもう看取(みと)りを終えた人が多い。「認知症なんてもう考えたくない」という人ばかりでは、家族の会は成り立たない。
 彼らと個別に話すと「自分はもう少し、こうしてやったら良かったと思う」と言う。しかしそれだけでなく、やっぱり介護するうちに、今まで自分がこだわっていた世界・常識・規範を超え、新しい世界が見えてくる。それがあるべき自分の世界だと感じられたのではないか。
 ふっと抜け出したその時、家族や本人がどれほど素晴らしい笑顔になるか。どこかでこだわりを捨てていく。「捨てなさい」と言ってもだめで、支えて支えきって、その間に家族の方も悩み混乱し、ふっと抜け出す。ケアする側はひたすらそばで個別的・具体的に援助する。ただ「優しくしなさい」ではいけない。
 重度の認知症で表情をなくした人がおられた。私が顔をのぞき、体に触れて話しかけると、ちょっとほほ笑んでくれる。理解できなければ人と人がつながれないのではなく、身体的な介護を続け、その日々の重なりで、人を支える感覚がないといけない。認知症の人は言葉の世界を超えているから「理解」ということだけで考えるのはいかがなものかと思う。
 認知症の人は「できなくなっていく自分が許せない」から始まって、やがて「自分はつながりのなかの一部」と変わっていく。つながりそのものが素晴らしいものであれば、生きていていいと思え、安定していく。そういうつながりを作れるかどうかが大きい。
 痴呆を生きることが悲惨になるか、それとも光り輝くものになるか。ケアがきちんとあれば生き生きとしたものになるだろう。

小澤勲 1938年生まれ。京都大医学部卒、京都府立洛南病院副院長、介護老人保健施設「桃源の森」施設長を経て、現職。著書に「痴呆を生きるということ」共編著に「認知症と診断されたあなたへ」。