京都新聞TOP > 特集アーカイブ
過去の特集記事

第5部「この街で支え合う」

(4)帰宅で取り戻した日常 〜訪問看護で終末ケア 母と娘、生活満喫
終末期の在宅療養を支える訪問看護師。患者の話に耳を傾け、中尾さんは手をさすった(亀岡市)
 病院から連れて帰りたい。どうしても。すぐにでも。亀岡市の主婦かずみさん(三八)は日に日に思いを募らせた。二年前の冬のことだ。
 その年の秋、母のてる子さん=当時(七五)=が倒れた。診断は軽い脳梗塞(こうそく)。精密検査で医師の表情が変わった。「がんが全身に転移している」
 娘はお母さん子だった。幼いころ大病を患った時、寝ずの看病をしてくれた母。離婚。高校生の時からは女手ひとつで育ててくれた。しつけは厳しかったが、子どもを宝物のように思ってくれた。そんな母にどうしても告知ができない。
 母は人一倍寂しがり屋だった。「かずみ、ちょっとここに入るか」。病室で布団の端をめくる。看護師の目をしのび、娘は添い寝をした。母を残して帰る時、後ろ髪を引かれる思いだった。
 残された時間は長くない。「お母さんのそばにいたい」。かずみさんは電話帳を繰り、往診してくれそうな診療所に次々と電話をかけた。「在宅の末期患者には対応できない」。ことごとく断られる。
 そんな時、人づてに聞いた。市内に開設された訪問看護ステーションが在宅で終末期ケアをしてくれる。「訪問看護」という言葉を聞くのも初めてだったが、思い切って訪ねた。
 「私の考えていることは無理なことなのでしょうか」。所長で看護師の中尾美千代さん(五七)は笑顔で受け止めてくれた。「大丈夫ですよ」。涙が止まらなかった。

最後に豊かな時 与えてもらえた

 親族は反対した。「病院の方が安心だ」「家族がしんどくなる」。かずみさんは夫婦二人暮らし。家にベッドを置く部屋はある。正直、自信はなかった。会社員の夫は「おまえが後悔しないように」と言ってくれた。介護に専念するため、勤めをやめた。
 家に帰って、てる子さんは周りが驚くほど元気になった。車いすを降り、自分で洗濯したり、娘と手をつないで散歩や買い物に出歩いたりした。「病気も悪いことばかりと違うなあ」。母は娘との生活を満喫した。
 不安もあった。小さな異変の一つ一つが気にかかる。病院と違って近くに医師がいない。昼夜を問わず、中尾さんに相談の電話を入れた。
 血圧や脈を測り、体ふきやマッサージをしながら、中尾さんはてる子さんの話に耳を傾ける。「また来ますね」。帰る際、いつも手を握ってくれる。初めは恥ずかしそうにしていたてる子さんだったが、いつしか自分から手を差し出すようになった。
 病気の進行は止まらなかった。痛み止めの薬剤で意識がもうろうとする。娘を病院の看護師と勘違いし、母は語り出した。「うちにはかずみという娘がおってな。冗談ばっかり言うおもしろい子や…」。娘は看護師になりきって母の話に耳を傾けた。
 今年一月。中尾さんに手を握られ、てる子さんはかすれる声でつぶやいた。「…ありがとうございました」。意識が戻ることはなかった。
 「母はずっと苦労ばかりでした」。かずみさんは穏やかな表情で振り返る。「でも最後に豊かな時を与えてもらえた」。残された生を自宅で全うした母。一緒に過ごした時間の記憶を娘はぎゅっと抱きしめる。

「訪看」が支える在宅療養

 「昨日はよく眠れましたか」。訪問看護ステーション「こころ」(亀岡市)の中尾美千代さん(五七)は、難病で寝たきりの渡辺登さん(七一)=同市保津町=の血圧と脈を測り、声をかける。「今日はよう声が出ますわ」。妻の峰子さん(七〇)が夫の体調を代弁する。
 「だいぶきれいになりましたね」。一時は骨まで見えていた重い床ずれ。「こころ」のスタッフがほぼ十一カ月間、毎日休みなく処置して治した。全身を温かいタオルでふき、ひげをそる。登さんは気持ちよさそうに目をつぶる。足のマッサージ。歯みがき。「一本しかないけど、大事な歯なんです」と上の前歯に歯ブラシをあてる。約一時間のケアを終え「次はあさって来ますね」と手を握る。登さんも枕から頭を上げてうなずいた。
 「入院していた時は毎日通う私がしんどかった。中尾さんが来てくれるので、家でみることができる。こっちの方が楽ですわ」と峰子さんは話す。
 中尾さんは三十年以上にわたって大病院やホスピスに勤めてきた。住み慣れた家で家族に見守られながら最期の時を過ごしたい−誰もが抱く思いをサポートしたいと、二年前に「こころ」を立ち上げた。全国でも珍しく、NPO法人(特定非営利活動法人)として運営している。営利にとらわれることなく、できるだけ患者に寄り添って対応したいからだという。

夜間や重度患者へは敬遠も

 訪問看護制度が始まったのは一九九二年。高齢化や在宅療養の患者が増えるのに伴って訪問看護ステーションは増え続けた。いま京都府で百三十三カ所(昨年十月現在)ある。
 病院の看護師のように医師の指示の下、点滴や投薬などの医療行為にあたり、体ふきやリハビリ、食事や排泄(はいせつ)の介助などの介護にも携わる。患者や家族の話に耳を傾け、精神面でサポートするのも大切な仕事だ。医師だけでなく、ケアマネジャーやヘルパー、ソーシャルワーカーら福祉との連携も欠かせない。
 「こころ」と連携する診療所の平田正弘医師(亀岡市)は「家族は看護師の動作を間近に見ることで、自らも看護のやり方を学ぶ。訪問の回数や時間をみても、在宅医療を支えているのは医師よりもむしろ看護師だ」と言い切る。
 しかし別の医師は「事業所によって看護師の技術に差があり、人工呼吸器などを扱えないケースもある。夜間や早朝の訪問に対応していなかったり、手間のかかる重度の患者が敬遠することも多い」と話す。
 重度の患者を担当し、床ずれの処置などを丁寧に行えば、一回の訪問に二時間以上かかることもある。しかし家族の負担を考えると、きっちりと料金を請求することはできない。実際には「ボランティア」の部分が多いという。
 中尾さんは言う。「患者さんに『来てくれたおかげで楽になった』と言ってもらえればいい。人は誰でも、誰かに必要とされることがうれしいのですから」