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第5部「この街で支え合う」

(5)仲間と過ごす場、力に 〜失敗を笑いあう。生ものの人間なのに
昼ごはんをみんなで囲む。心の病を抱える仲間たちが、街での暮らしを語り合う(宇治市、共同作業所「ほっとハウス」)
 狭い一軒家の居間にとりどりの絵がかけられている。自作の絵本の批評を求める人。寝転がってまどろむ人もいる。
 昼ご飯、何にする? 安売りのチラシをみて、メンバーが頭をひねる。「チンゲン菜てどんな字?」「中国野菜だから青をチンと読む」「珍しいの珍に、幻覚の幻!」
 心の病を共有する人たちの場の力。笑いのパワーがあふれている。宇治市にある「ほっとハウス」は精神障害者が集まり、一九九二年に誕生した。やらなくてはならない作業はない。働かなくてもいい。何も強制されず、指導もない。うなだれて座っている人がいる。今日も通って来ない人もいる。それでいい。偏見や病のために居場所がない人たちの憩いの場。
 統合失調症の元養護教諭(四九)がメモ帳に何か書き込んでいた。細かい字の個条書き。「この世のすべての文章に曲をつけ、視覚的構造化して理解を促すシステムを開発したい」「私は世界で起きていることの六十三億分の一しか責任を感じていない気がする」…。地球上の悲しい出来事をひとりで背負おうとするかのような言葉が並ぶ。

偏見や病に居場所なく

 ほっとハウスができたころ。棚谷直巳さん(四四)はメンバーの発言に衝撃を受けた。「働きたい人だけ働けばいい」。かつて経験した共同作業所の「通所者全員で軽作業をこなし、わずかな工賃を受け取る」というイメージを棚谷さんは捨てた。
 おしゃべりだけでも、ごろ寝してても、散歩に出た人も「昼食づくり」の共同作業に参加したと考える。食事代三百五十円とメンバーの絵や作品をバザーで売った収益からやりくりし、訪れたメンバーには公平に「工賃」が出る。一般社会でいう「労働の対価」とはまったく違う発想だ。
 心を病み、今も薬がいる棚谷さんだが、行政との交渉にも追われる。
 今春施行の障害者自立支援法で、国は今後五年間に小規模作業所を「就労支援」や「生活支援」プログラムの場にするよう、転換を迫っている。わずかな工賃より高くつく「サービス料」の自己負担。通所日数の条件、障害程度の区分や証明、個人ごとの目標設定…心の病の人にそんな類型区分はそぐわない。
 「生きてる要求は『型』にはまるものではない。日々の混沌(こんとん)としたものを見つめ合って、失敗を笑いあう。生ものの人間なのに」と台所から声がする。設立のころの「憩いの場」に戻ろうか。そんな意見もある。しかしそれでは規模も支援活動も維持できない。勉強会や議論を続けているが、メンバーの悩みは深い。
 うつ病と統合失調症を患い二十年の男性がメンバーの相談に乗っていた。「どうやったら彼女ができるか」。正解はない。調子を崩し、気が付くと病院の保護室でベッドに手足を縛られていた話を、男性が明るく話す。「うーん、なかなかモテへんな」。さえない話だったりもするが、仲間と過ごす場の力が生きる支えとなる。
 散髪に行って仕事を尋ねられるたび、男性は「自営業」と嘘をついてきた。偏見、働けない病への無理解。ほっとハウスに通えなくなったら、街のどこに居場所があるのか。「働くか、死ぬか、自立支援法はどっちか選べということや」。名前を出して行政との交渉で前に出ることを決めた。西村広一さん、四十八歳。「名前、きっちり書いてや!」

自ら声を挙げ、福祉や医療に挑む

 「ほっとハウス」(宇治市)は憩いの場から始まり、九年後に共同作業所に移行、行政から補助金も受け、活動の幅を広げてきた。
 長期の入院から退院した患者に対し、地域生活への復帰を支える活動を続けている。不動産業者をまわり、アパートを一緒に探す。「回復しているといっても」と難色を示す大家さんに理解を求める。コンビニ店で商品選びに戸惑い、レジで尋ねることができない人には、買い物に付き添う。
 何年も病院で暮らしてきた人は心の病は回復しても、お金の管理や買い物といった生活の基本的なことでつまずいてしまう。
 ほっとハウスの田島信二さん(四九)は「心の病のしんどさは患者同士でないと認め合うことができない。一日いくらで暮らせばいいとか、買い物のつらさに対する生活の工夫とかも、具体的に共有する患者同士なら共有できる」と患者・障害者同士で支え合う場の大切さを訴える。
 「医療者側からは『治療には福祉が従え』という目線を感じる。その福祉制度を立案する行政にわれわれの声は届かない。地域で障害者が暮らすための制度づくりも、障害者や精神医療の利用者の立場から発想するのが当然だ」と話す。

当事者運動 全国へ広がり

 戦後の精神医療は強制医療と隔離の歴史だった。知事の名前で閉鎖病棟へ、家族の同意で入院させられてきた。精神障害者の脳にメスを入れる「ロボトミー手術」、不妊治療…。患者の同意もなく行われてきた歴史がある。
 病棟から、施設から、街へ出よう。京都は精神医療の当事者運動の先進地で、動きは全国へと広がった。岩倉病院(京都市左京区)の患者自治会運動と開放化運動。山科区で精神障害者が立ち上げた「前進友の会」。権利闘争であると同時に、患者同士で語り合う力を肯定する運動でもあった。
 精神福祉分野だけではない。京都、滋賀は在宅で生きる患者、障害者が自ら声を挙げ、福祉や医療の貧困、偏見の壁に挑み、時代に先駆ける運動をいくつもリードしてきた。
 一九七〇年代の「薬害スモン」問題では京都スモンの会が不自由な体を押して動き、難病対策制度を生んだ。京都の街で生まれた「呆け老人をかかえる家族の会」(現・認知症の人と家族の会)は高齢者問題を世界に発信する組織となった。血友病患者で薬害HIV訴訟を闘った故石田吉明さん(京都市伏見区)。滋賀ではヒト硬膜移植で寝たきりの妻とともに薬害ヤコブ病訴訟を起こした谷三一さん(湖南市)。勇気を出して名前を公開し、ゼロから国の制度を動かしてきた。
 京都市出身で、全国遷延性意識障害者・家族の会の桑山雄次会長は「小学校区ぐらいの歩いて行ける地域コミュニティーのなかで、障害の種別を超えた家族会や患者組織ができればいい。当事者でない人をどう引っ張り込むか。障害とともに生きる人が街へ出ないと、共感は得られない」と語る。
 病院から地域へ。今春施行の障害者自立支援法で、また診療報酬や介護保険制度の改定で、国は「在宅」への流れを推し進めている。受け皿もないまま、医療や福祉の貧困を家族介護に押しつけているのではないか。「働ける価値ある命と、そうでない命を選別している」と多くの重度障害者や、ともに生きる家族は批判する。
 患者や障害者が発する言葉の力は強い。生を肯定するユーモア。病んで気付き、そして発見した新しい輝き。ケアの現場で、工夫が生まれる。施設から、家族から、本当の意味での自立を目指し、逆風のなかもしなやかに生き抜いてきた人々の歴史が、この街に刻まれている。これからも刻まれていく。
 終わり
 第5部「この街で支え合う」は社会報道部の岡本晃明、目黒重幸、勝聡子と写真報道部の梶田茂樹、坂本佳文が担当しました。シリーズ「折れない葦」は今回で終了します。医療と福祉の谷間に視点をあてた記事は引き続き紙面化していく予定です。ご意見、ご感想をファクス、または電子メールでお寄せください。ファクス番号は075(252)5454、電子メールのアドレスはashi@mb.kyoto−np.co.jpです。