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8ミリ映写機(上)

修復で見える時代の空気
1943年に行われた運動会の映像。軍人とみられる男性が児童を点検する(「吉岡映像」提供)
1943年に行われた運動会の映像。軍人とみられる男性が児童を点検する(「吉岡映像」提供)
 もんぺ姿の女児が一列になってバケツリレーをし、防具を着けた男児が棒で突き合う様子が映し出された。防空訓練や軍事訓練の一環なのだろうか。カットが切り替わり、軍服の男が胸を張って歩く。児童は足を閉じ、両腕を体の横でぴしっと伸ばして、査閲を受ける-。

 日本軍の敗色が濃くなり、学徒出陣が始まる1943年。京都市中京区の生祥国民学校(現・高倉小)で開かれた運動会の8ミリフィルムを修復した映像だ。戦時色の一方で、だるまをかぶった教員のリレーなどのどかさも漂い、「暗い」とだけ思っていた戦時下の子どもへの先入観が揺さぶられる。

 8ミリは、当時同校5年だった井上博三さんが10年近く前、フィルム修復会社「吉岡映像」(上京区)にデジタル化を依頼していたものだ。

 戦地から帰国した傷痍(しょうい)軍人が撮影したと聞き、同社社長の吉岡博行さん(59)は驚いた。「戦中の日常風景を写したフィルムはないと言われていたのに」

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 井上さんは2009年に亡くなっている。デジタル化された映像を持って、記者は妻の紀代美さん(75)=中京区=を訪ねた。夫が8ミリ修復を依頼していたことを知らなかったそうだ。

 映像を見てもらうと、紀代美さんの笑みがこぼれた。

 走り回る子どもたち。その中にいるはずの少年時代の夫の面影は見分けられなかったが、「思い出を残すのが好きだったので、子や孫に見せようとしたんじゃないでしょうか。あの人らしいですね」と懐かしんだ。

 昭和初期に誕生し、一般家庭に普及した8ミリフィルム。古いものは生産から80年が過ぎ、危機にひんしている。

 多くは保存状態が悪い。湿度の高い日本特有の気候に影響を受け、酸っぱい臭いと粘着性を帯び、収縮してしまう。フィルムが湾曲するとピントが合わず、中には映写機を通らず上映できない場合もある。

 吉岡さんは映像カメラマンを経て、17年前に今の仕事を始めた。ゆがんだフィルムをアイロンの熱と圧力で伸ばしていく。メーカーや状態によって5度刻みで適正な熱さを調整。特許を取得した技術で修復後、映写機で上映し、再度デジタル撮影する。

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 左京区岩倉の山中でマツタケを囲む1928年の宴席。戦中に廃止された30年の愛宕山鉄道…。大正時代に発売された9・5ミリフィルムを含め、京都の戦前の映像の修復依頼が舞い込む。

 戦中期の映像記録はまれだが、50年代からフィルムは増える。昭和の映像記録を見比べると、戦後の人の立ち居振る舞いから優雅さが失われていく気がする。「復興は進んでも、まちの雰囲気はせかせかとしている」。戦争で失われたものの大きさを思う。

 古い映像を見続ける吉岡さんには、戦前さえも、つい昨日の出来事のよう。「映像は、その時代にいるかのようにタイムスリップさせる力がある」。過ぎ去った京の暮らしに文字通り光を当てる修復作業は続く。
【2015年01月03日掲載】