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SPレコード(上)

敵機爆音と煎った豆の味
視覚障害者の白畠さん。敵機爆音集に耳を澄ます。「このレコードです。日本の飛行機とは重みが違う。いま聴いても恐ろしい」(京都市左京区・府立図書館)
視覚障害者の白畠さん。敵機爆音集に耳を澄ます。「このレコードです。日本の飛行機とは重みが違う。いま聴いても恐ろしい」(京都市左京区・府立図書館)
 米軍の爆撃機B17の飛行音が音楽室に響いた。高度千メートルで「カアーーー」という高周波音だったのが、3千メートルに入り「ゴゴゴ、グーン」とうねりに変わる。「身を守るため覚えましょう」

 目の見えない子どもたちに先生が話しかけた。

 1944年夏、京都府立盲学校(京都市北区)で「敵機爆音集」というSPレコードが流れた。初等部1年だった白畠庸(いさお)さん(79)=右京区=は「鉄のローラーがアスファルトをこするような、おなかの底まで響く音でした」と記憶する。もっとも、その頃飛来する米軍機はレコードにないB29で、音楽の授業は数回で終わった。

 45年3月、戦況悪化に伴う休校で古里の宮津市に戻った。7月末、山でセミ捕りをしていて空襲を受け、後ろの男の子が亡くなった。あの音はグラマン戦闘機だったと思うが、地面に伏せ、震えることしかできなかった。

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 2年前、同校と縁の深い視覚障害者福祉施設「京都ライトハウス」で同タイトルのSPレコードが見つかった。千葉陸軍防空学校監修でニッチク(現・日本コロムビア)が43年に発売。同社のチラシを見ると「記憶せよ 敵機の爆音!」「武器としての音盤を見事に確立した」と購入をあおっている。

 レコードの用途は避難だけではなかった。国は視覚障害者から聴力の優れた人を選び、敵機襲来をいち早くキャッチする防空監視哨員の育成を模索した形跡がある。

 昨秋、100歳で亡くなった近江谷勤さんは京都薬学専門学校(現・京都薬科大)在学中、桃山練兵場での夜間演習で炎症を起こし失明。古里の石川県立盲学校に転入し、卒業後の44年、防空監視業務を担った。デパート屋上で週2回、夜空に耳を澄ました。「楽しいとか苦しいとかでなく、皆奉仕という気持ちでした」と、当時の心境を周囲に語っていた。

 戦時中に石川県立盲学校初等部に通っていた島津祐策さん(82)=浜松市=は42年9~12月、小学生約10人と一緒に軍人から訓練を受けた。「ピアノで一番下の『ラ』のシャープと440ヘルツだったNHKの時報の音を覚え、そこから音色と音階を逆算して敵機の種類を言い当てる。校長から『他に漏らさないように』と命じられました」

 日本盲教育史研究会の岸博実さん(65)=宇治市=は「国は戦力として視覚障害者をいかに活用するか考えた。資料が乏しく歴史に空白がある」と話す。

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 敵機爆音集は、国立国会図書館がデジタル化し、オンラインで結ぶ各地の図書館で公開している。白畠さんに同行し、左京区の府立図書館で約70年前の音源を聴いてもらった。

 「戦闘機のカーチス」。再生して20秒で、少年時代がよみがえる。連鎖する記憶。パトカーに似た空襲警報が鳴るたび、校庭の防空壕の中でおびえた。音楽の先生の名前も浮かんだ。「そういえば…」と、言葉を紡ぐ。「煎(い)った豆の味を思い出します。当時は腹が減って腹が減って、よく食べました」


【2015年01月04日掲載】