京都新聞TOP >戦後70年
インデックス

原資料の散逸(上)

「眠らせては意味がない」

ビルマ(現ミャンマー)の収容所で日本兵たちが制作し、大津市の小倉さんが演奏したバイオリン
絵本「おこりじぞう」で知られる画家四国さんがシベリア抑留時にはいた靴
(上)ビルマ(現ミャンマー)の収容所で日本兵たちが制作し、大津市の小倉さんが演奏したバイオリン
(下)絵本「おこりじぞう」で知られる画家四国さんがシベリア抑留時にはいた靴

 9月24日に開かれた2017年の記憶遺産登録に向けた国内選考委員会は、知覧の特攻関係資料群など16件から日本の推薦枠2件を絞る狭き門だった。「広島の被爆作家による原爆資料」は落選した。

 広島市と共同申請した市民団体「広島文学資料保全の会」の池田正彦事務局長(68)は「残念です。眠らせては意味がない。広島ではかつて原爆ドームを取り壊してしまえという声があった。次代につなぐ機運になればと手を上げたのだが」と落胆する。

 申請したのは「ちちをかえせ ははをかえせ」とうたった詩人峠三吉の「原爆詩集」(1951年)直筆最終草稿など3点。同会は87年に発足、文学館設立を目指し、原爆文学関連資料の収集やデジタル化に取り組んできた。記憶遺産申請は、行政支援のめどが立たない中、原資料の散逸を防ぐためだった。

 記憶遺産に再挑戦すべきという声が届く。しかし今、池田さんが準備を進めているのは、被爆少女が主人公の絵本「おこりじぞう」の挿絵画家、故四国五郎さん(2014年没)のシベリア抑留展だという。四国さんは3年抑留され舞鶴港に引き揚げ、広島で弟の被爆死を知った。

 展示する遺品は、収容所跡の鉄条網、抑留生活を描いた豆日記を底に隠した靴など。「広島では原爆のことは語っても、シベリア抑留は語られてこなかった。舞鶴の引揚記念館ともつながりたい。他の地へ、心を寄せる広島でありたいんです」

 戦後70年。戦争資料を受け入れている京滋の施設では、所有者の思いが不明な資料の寄贈が増えている。子や孫に記憶が継承されないまま、本人が亡くなる。戦友会の解散は相次ぎ、散逸は進む。

 2010年11月、京都市中京区の京都堀川音楽高ホールでの「再現コンサート」。敗戦直後、旧日本兵収容所で制作されたバイオリンで童謡「故郷(ふるさと)」が演奏された。響きは60数年の時を超え、約300人の聴衆に届いた。

 所有者は大津市の小倉与七郎さん=11年に93歳で死去。京都新聞は10年夏、「戦場の京都交響曲を探して」を連載、戦後、英国軍がビルマ(現ミャンマー)に設けた収容所で京滋出身の日本兵が作った楽団や幻の望郷の曲を追った。

 取材に小倉さんはバイオリンを演奏した思い出を語った。「器用な仲間が作ってくれました。材料はみんなが強制労働の現場からとってきて、ね」「素朴で澄んだ音が出た」

 家業の都合で同じ名前を継いだ長男の与七郎さん(65)はコンサートを振り返る。「収容所で作曲された歌が演奏されると、普段は人前で歌うことのない父親が大きな声で歌い出した。戦争から長い年月があるのに覚えているのかと驚いた」。公演後に「良かった。懐かしかった」と感激する父の姿が忘れられない。

 「収容所という最悪の環境でも、明るく生きようとした父たちはすごい。音楽にはそれだけの力がある。形見なので代々残していきたい」
 公的機関の収蔵庫に眠るのではなく、スポットライトを浴び、平和への願いを奏でた戦争遺品。与七郎さんは、要請があれば展示などへの貸し出し協力はしたいと話している。

【2015年10月03日掲載】