京都新聞TOP >六曜社物語
インデックス

(上)瀬戸内寂聴さんに聞く

家の台所みたい、落ち着いた

無名時代、文学仲間と通う

六曜社での思い出を語る瀬戸内寂聴さん(京都市右京区・寂庵)
六曜社での思い出を語る瀬戸内寂聴さん(京都市右京区・寂庵)
今も地下店に残る寂聴さんのボトル(中京区河原町通三条下ル・六曜社)
今も地下店に残る寂聴さんのボトル(中京区河原町通三条下ル・六曜社)

 作家の瀬戸内寂聴さん(93)は戦後間もないころ、喫茶店「六曜社」(京都市中京区河原町通三条下ル)に足を運んだ。夫と幼いわが子を東京に置いて、恋に落ちた男性と一緒になるため、一人、京都に出奔したが恋は実らず、自活を目指していた時だった。

 「昭和23年あたりのはずだから、26歳ぐらいの時。私はそのころ、大翠(だいすい)書院(※1)という出版社に勤めていて、同僚に連れられて行きました。同人誌(※2)の仲間とも何度か行ったと思います。その時のメンバーはもうみんな死んでしまったけれど、そこで文学談議しました。コーヒー1杯で何時間いても怒られないし。その中で(六曜社を)知らないのは私ぐらいじゃなかったかしら。デートで男女がこっそりという雰囲気ではなくて、場所全部が一軒のおうちの台所みたいな感じで落ち着いてね。狭いから、いつでもお客でいっぱいでしたよ。

 どういうわけか、お客がみんなインテリでしたよ。お高い話はしないんだけども、大体似たような人がいました。ちょっと文学青年とか絵描きの卵とか。何となくお客がそうなるのね。恋人とは行ったこともない。その時はいなかったから」

 戦後すぐ、満州から引き揚げてきた奥野実さん(故人)と妻の八重子さん(90)が六曜社の隣で喫茶店「コニーアイランド」として始めた。そして1950年に現在の六曜社を開店した。寂聴さんが訪れたのはコニーアイランド時代からということになる。

 「そうだったかしら。そのへんのことはあんまりよく覚えてないの。ご夫妻が引き揚げということも知らなかった。私もまだ夫と籍を抜いてない時だから、あまり身の上も話さなかったですよね。

 でも、奥さん(八重子さん)の妹さんも店で働いていて仲良くなって、彼女の結婚やらの身の上相談に乗っていたわ。ご主人(実さん)は非常にさっぱりした人で、ぺちゃくちゃしゃべらないので、ほとんど話したことはなかった。私も、そこらのお姉ちゃんだからね。その後、作家になってから懐かしくなって『みんな元気?』なんて言って1回か2回店に行ったから覚えてくれてるんじゃないかな。奥さんもおとなしい人でした。なんせ店の感じがとても良かったの。コーヒーもおいしかったですしね。コーヒーは好きで、今でも毎日飲んでいます」

 八重子さんは寂聴さんが画家とよく訪れたと記憶している。

 「それはきっと流政之(ながれまさゆき)(※3)のことね。大翠書院では、私がいた出版業とは別に、ロマンチックな絵がついた便箋や封筒を作っていて。私がいた出版とは違ってそっちの方ではもうけていたの。流さんはそのもうかるほうの長で、みんな一つ部屋にいましたから仲良くなって。『おまえは子どもをおいて家を出てきてけしからん』なんてお説教されたもんよ。大翠書院は作家の新章文子さん(※4)も輩出して。小さい職場から3人も芸術家が出たんですよ」

 六曜社以外には、戦前から営業を続けるフランソア喫茶室(下京区西木屋町通四条下ル)も訪れたという。

 「亭主がね、籍を抜くと言ってきた時にね、別れ話をした場所だからよく覚えてるの。大翠書院がつぶれて、次に京大付属病院に雇われたでしょ。こちらには、そこの先生とか友達と行ってましたね。静かだしね。雰囲気が違ってた。小説家になってからも2、3回行ってます」

 戦時中、東京の学生時代に寂聴さんは卒業前の旅行で京都を訪れ、まだ今の六曜社が営業を始める前の河原町通近辺を歩いた。

 「婚約していたから、友達とわざとはぐれて河原町の陶器屋さんで夫婦茶碗を買ったの。国語の専攻で古典を習っているから大学が京都に連れてきてくれた。その旅行も私の年が最後だった。(戦争で)それどころじゃなかった。旅行の際、比叡山に行く時間もあったんだけど、あんな高いところ、しんどいって行かなかったの。当時の河原町はずっと東京にいた身からすると田舎くさかった。お店ものんびりしてるでしょ。老舗が多く、わあわあ売る感じでもないし、おっとりしてたわね」

 夜はバーとして営業している六曜社地下店には、「寂」のサインが書かれたウイスキーのボトルが一度も開けずに、今もキープされている。

 「えーー。そうそう、言われて今思い出した。それは、出家した後ですね。また飲みに行かないといけないですね。『まだ生きてるかなあ』と思っていたから、奥さんにもぜひもう一度会いたい。

 70年近く続いている。それだけでも、素晴らしい歴史ね。やっぱり、それは京都ね。喫茶店で出会った人と友達になれるような店、今はあんまりないですから。戦後間もなくの、心が渇いている時からみんなを潤してきた場所なわけだから、これからも頑張って守っていってほしいわ」

 敗戦後の旧満州の屋台から出発し、その歩みをたどった連載「六曜社物語 ちいさな喫茶店の戦後70年」。特別編として、ゆかりの3人に店での思い出やその魅力について語ってもらう。

 ※1 大翠書院は中京区油小路通三条上ルにあった。瀬戸内寂聴さんの小説「場所」によると、古風な2階建ての一見ビル風の建物で、2階に大翠書院と大鳳紙業が入っていた。1949年に解散。

 ※2 同人誌「メルキュール」。「寂聴伝」(齋藤愼爾著、新潮文庫)によると、中学教師や新聞記者、銀行員ら8人の若者でつくったが3号で終わった。瀬戸内さんの小説は「作品以前」として、掲載されなかった。

 ※3 流政之さん(92)は世界的に活躍する彫刻家。作庭家としても知られる。父は立命館大創立者の中川小十郎(1866~1944年)。

 ※4 本名、中島光子。大翠書院に勤める前には宝塚歌劇団に在籍していた。本名で童話「こりすちゃんとあかいてぶくろ」を大翠書院から出した。1959年、「危険な関係」で江戸川乱歩賞。同作は直木賞候補になった。

【2015年09月16日掲載】