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3度の補欠が原点 |
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東京マラソンでラストラン 有森裕子 |
バルセロナ「銀」、アトランタ「銅」と五輪女子マラソンで2大会連続メダルを獲得した有森裕子が、18日の東京マラソンを最後に第一線を退いた。
岡山・就実高のとき、京都で行われている全国都道府県対抗女子駅伝で第1回大会(1983年)から3年連続で県代表になったが、すべて補欠に終わった。「来年こそ走れるようにと頑張った。全国女子駅伝が私の原点。3年連続で補欠だった選手が五輪でメダルを取ったんです」。よくそのエピソードを例にとって若い選手たちを励ました。
都大路では計9度、岡山代表になった。今年の25回大会に出場した38歳の弘山晴美(資生堂)とともに1回大会を経験した2人の現役ランナーの一人だった。頑張り続けた競技生活に40歳でピリオドを打った。
五輪の両大会はともに酷暑のレース。過酷な条件下でメダルを奪ったのは強い意志のたまものだった。くじけない粘り強さは、3度補欠のエピソードと無縁ではないだろう。有森の快走がシドニーの高橋尚子、アテネの野口みずきの金メダルへの助走になった。
陸上界のプロ選手第1号でもある。現在でこそプロは当たり前になったが、当時は周囲の抵抗も強く承認を得るまで苦労した。早くから「走って生活している。私はプロだ」と言い切り、自らを厳しく追い込んでいた。
社会活動にも積極的で、対人地雷の犠牲者を支援するカンボジアのマラソンに毎回出場を続け、国連人口基金の親善大使も務めている。社会貢献というスポーツ選手の新たな生き方も提起した。さまざまな意味も含め女子長距離の礎を築いたランナーだ。
3度補欠のエピソードは人生にも通じる話だ。志を持って挑戦を続ける大切さを教えてくれている。全国女子駅伝では、西京極陸上競技場前に置かれた有森の足形レリーフと合わせ、「3度補欠」のエピソードがいつまでも語り継がれると思う。 (森田信明)
【2007年2月19日掲載】
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