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インタビュー編

老いの情景 インタビュー編

 高齢者らをめぐる孤立の現状と新たな支え合いの動きを追った連載「ひとりじゃないよ」第1部に続き、孤立解消の手がかりを探るため、立命館大の津止正敏教授(地域福祉論)と京都教育大の杉井潤子教授(家族社会学)に聞いた。「新たなつながりの構築」「脱家族化」。二つのキーワードが浮かんだ。

立命館大教授(地域福祉論) 津止正敏さん 

つどめ・まさとし 1953年、鹿児島県生まれ。立命館大卒業後、京都市社会福祉協議会に勤務、同大学社会学研究科修士課程を修了。2001年から現職。男性介護者の支援にも携わる。

新たなつながり構築

 昔は良かった。貧しいが人間の温かいつながりがあった−。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に象徴されるようにノスタルジックな福祉論が語られるが、そうは思わない。必要なのは、つながりの「再生」ではない。新たな「構築」だ。

 戦後、われわれは身の回りの縁を切ることで煩わしさや不安から解放された。家族や地域のしがらみに埋没せず、独立した個人として自由に生きることを目指し、多くを得たはずだ。かつてのような「絆」は、もはや現代には通用しない。

 介護や育児など家庭や地域の縁の中で営んできた行為を社会全体で担う仕組みができ始めた。一方、家の風呂場に家族それぞれの専用シャンプーが並ぶように、家庭の中ですらライフスタイルが個人化している。「安心・安全」のために周囲と隔絶した住空間が生まれた。家族や地域に、つながりのリアリティーがなくなるのは当然の帰結だ。

 コミュニケーションの手段は飛躍的に拡大した。年金や介護保険という「共に助け合う」制度が確立した。私的にも公的にも連帯の仕組みが広く整ったが、それは顔が見えてこない「匿名の連帯」。結果、孤立がまん延するかのような社会が生まれた。

 今、求められる「つながり」とは、偶然隣り合わせで住む人間同士、縁もゆかりもない中から生活上の課題へ共に向き合うという顔の見える関係だ。血縁を基本とする過去の「親族社会」の強いつながり方とは前提が違う「初めてのプロジェクト」と言える。

 その糸口の一つに、介護を軸にした関係づくりを挙げたい。

 要介護の高齢者は約500万人。親族や知人、専門職を含め、高齢者介護にかかわるのは、少なくともその数倍にのぼる。地域や学校、企業などあらゆる場面で介護について語り合い、共感できる場をつくり出すことで、互いの顔をイメージできる連帯への土壌を広げられる。それが、匿名の連帯を機能させていく道でもある。

京都教育大教授(家族社会学) 杉井潤子さん 

すぎい・じゅんこ 京都府八木町(現南丹市)生まれ。大阪市立大生活科学研究科博士課程修了。奈良教育大助教授を経て2007年から現職。著書に「よくわかる現代家族」(共編著)など。

家族依存ない関係を

 家族規範が変化し、もはや子どもには頼れない。だが、高齢者支援をめぐる社会的な意識や制度の根底には、今も家族依存がある。

 家族は、高齢者への支援の1パーツに過ぎない。家族に絶対の価値を置かないこと、つまり「脱家族化」こそが求められている。家族とは、内と外を区別する「密室」、愛情を掲げた「支配」とも解釈できるからだ。

 介護保険制度導入で「介護が社会化された」と言われるが疑問だ。実態は家族という介護の担い手を前提としているうえ、財源抑制でサービス利用への敷居は高い。

 介護現場からは「家族というフィルターを通さないと本当の支援対象者である高齢者に行き着けず、適切な支援がしにくい」といった悩みも聞く。

 家族が介護を義務として背負い込むと負担感が増し、対応や感情が変容する。家族には介護することを強制されない権利もある。

 脱家族化しても、家族が親を見捨てることには決してならない。高齢者も家族への過剰な期待から自らを解放できる。家族一人一人が個人として精神的に深く結び付くことに、重きを置くべきだ。

 その延長として「コンボイ」の理論を提案する。直訳は護衛艦。いわば「自分の死に涙してくれる存在」こそ重要で、子どもや配偶者だけでなく、親友や知人、同僚や地域住民、介護従事者らが当てはまる。家族にとらわれない新たな絆のつくり方だ。一度、身の回りのコンボイを確認してみてほしい。

 今の80代の人は高齢化が進行した社会の第1世代。家族ありきで余生の過ごし方が決まった旧世代とは違う。モデルなき老いを生きる悲壮な世代だからこそ、遠くにいるコンボイが一歩、本人のもとへ近づくこと、本人はその歩み寄りを受け入れることが大切だ。

 これから老いを迎える人は「誰かのコンボイになることは自らのコンボイをつくることでもある」と意識し、つながりを生み出してもらいたい。

【2010年12月7日掲載】