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(1)太陽が違う。涙あふれた

「ここどこだっけ」 見慣れぬ天井に戸惑い
窓の外は桜が満開を迎えようとしていた。数間さんは今、好きだった桜を素直に喜べない(8日、京都市西京区)

 行き場をなくしてさまよう夢が数間(かずま)光春さん(64)の浅い眠りを妨げる。福島県南相馬市の自宅が津波にのみ込まれ、京都市西京区の市営住宅に避難した。夜は3時間ほどで目が覚める。「ここどこだっけ」。見慣れない天井に戸惑い、まだ心の整理が付いていないことに気付く。

 あの日。海岸約500メートルの自宅にいた。大きな揺れの後、中学生の孫を車に押し込み、1・5キロ先の高台へ向かった。途中、ポケットの携帯電話が一度だけ鳴る。買い物に出ていた妻の幸子さん(61)だった。「避難所さ行け」。数間さんの一言に、幸子さんは命拾いした。

 震災が奪ったのは家財にとどまらない。自宅から約1キロ先で暮らす幸子さんの母(86)と兄(67)が波にさらわれた。兄の遺体は見つかったが、母は行方不明のまま。地震の10日ほど前。病院の送迎をした後、お手製の梅干しをくれた母が最後の姿になった。「もう駄目だと思う。でも会いたい」。幸子さんは遠い地で遺体発見の知らせを待つ。

 親類宅や知人宅を経て、長男家族と高齢の父母の3世帯8人で京都に身を寄せた。4月に入り、長男は仕事のために妻子3人を連れて茨城県へ移ったあと、単身で地元に戻った。みんな一緒だった家族が離ればなれになった。

 避難した部屋で数間さんはふと、流されてないはずの引き出しや眼鏡を探してしまう。自宅の池のコイを心配する父母の質問に「家はもうない」と説明する。「べこ(牛)は」とまた質問が続く。両親もうまく現実を受け入れられていないことを知る。

 暮らすのはどこでもいい。やけになってそう思うようにした。でも、日を重ねるごとに生まれ育った故郷に帰りたい気持ちが膨らむ。だが、帰る家は無くなった。半年は京都で暮らす覚悟を決めた。

 早朝。初めて山から昇る朝日を見た。「夕焼けのように赤かった」。水平線から顔を出し、まぶしく光る故郷の太陽と違った。涙があふれた。

 言葉が違う。団地暮らしの経験がなく、生活習慣もわからない。外では、山に見えるアンテナや高い建物を目印に方角を確認する。見知らぬ地で生活を始めることに一抹の不安はある。

 一方、身一つで出てきたのに部屋には冷蔵庫や洗濯機、服など必要なものがそろっている。京都市や親類、民生委員らが足りない物を届けてくれた。行き交う子どもの笑顔や食材が並ぶスーパーなど、故郷の惨状とは対照的な当たり前の光景に安心できる。

 桜が大好きだ。花見は欠かさなかった。精いっぱい咲く花に感動し、そっとにおいをかいでみたりもした。でも、今は目を背けてしまう。「桜に申し訳ないけど、前のように素直にきれいだなって思えない」。皮肉にもベランダの目の前で、枝を広げた桜が満開を迎えようとしていた。

 東日本大震災から1カ月。第4部は、故郷を遠く離れた被災者と支援に動きだした人たちの姿をつづります。
=8回掲載の予定です

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【2011年4月12日掲載】