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(3)見知らぬ町 隣人温かく

入居の日 ポストに手紙 「遠くまでお疲れさま」
手術したひざの検査を終え、市営住宅の部屋へと帰る石川さん夫妻。不安が一つ、和らいだ(4日、京都市山科区)

 夜が明るい。カーテンを閉めても、ほかの部屋から光が差し込む。京都市山科区の市営住宅に避難してきた石川征雄さん(67)、美恵さん(59)夫妻は、午後8時半には床に就く。日中に用事を済ませると、することがない。

 あの日、山と田畑に囲まれた福島県双葉町の自宅にいた。7キロ先に福島第1原発があった。避難指示が出て親類宅へ逃げたが、気兼ねして1泊で自宅に戻った。美恵さんは昨年11月末、ひざに人工関節を埋め込む手術を受け、足が自由に上がらない。松葉づえでの避難所生活には、ためらいがあった。

 原発の建屋が爆発した日。自宅のガラス戸がばたばたと音を立てて震えた。やむなく原発から30キロ圏外の避難所へ向かった。どこも満員。3カ所目の高校で粘った末、ようやく寝床を得たが、ベッドがなく、いすに座って最初の夜を明かした。

 山梨県の親類宅から富士山のふもとの保養施設にたどり着いた時、京都の公営住宅に入れると知った。「どんどん家から遠くなる。ただ、次が見つかる保証もない」。石川さん夫妻は京都に向かった。

 「遠くまで、お疲れさまでした」

 入居した日、ポストに手紙が届いた。被災者向けの生活相談会の案内とともに、ねぎらいの言葉が並んでいた。

 相談会は、慣れない土地の市営住宅にやって来た多くの被災者にできることはないかと、地元住民たちが試みた。

 「設備の整った整形外科はありますか」。相談会で、美恵さんが質問した。仙台市の大学病院で3月17日に予定していたひざの検査が受けられず、ずっと心配していた。傷痕が突っ張り、重たくなっていた。

 司会の中川幸子さん(57)が近くの病院を伝えた。手紙の主だった。「私らも何をしていいのかわからない。5階に住んでいる。不在も多いから何かあったらメモを入れてください」。偶然にお隣さんになった被災者らが笑顔で帰郷できるよう、願っていた。

 美恵さんは4日、紹介先の病院で診察を受けた。「当面、通われますか」。一瞬、返事に詰まった。「帰りたいし、何て言ったらいいか」。見守った征雄さんの心中は複雑だった。医師は関節の曲がりやエックス線写真を確かめ、「大手術だったんですね」と話した。事情が伝わった。

 埼玉県に避難した双葉町役場に石川さん夫妻が電話しても、つながりにくい。「置き去りにされているみたい」。9、10日と福島市を訪ね、1カ月ぶりに避難所で自宅の隣人らに再会した。「帰る日まで頑張ろう」。互いに涙して約束したあと、山科に戻った。

 京都に来てから作ったファイルに、中川さんの手紙をしまっている。見知らぬ町で支えを得て、前を向く。故郷での約束を果たすために。

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【2011年4月14日掲載】