京都新聞TOP > 政治・社会アーカイブ > ひとりじゃないよ
インデックス

(7)「負けない」再出発幕開け

歌舞練場で短期バイト つかの間 不安かき消す
観客を案内する紺野さん(右)。働いている時間が、つらい体験や不安を忘れさせてくれる(8日、京都市東山区)

 薄紅色の桜が彩る舞台で、芸舞妓が華麗に舞う京都市東山区の祇園甲部歌舞練場。開演が迫る劇場で観客を迎え入れる紺野奈緒子さん(55)は、福島県南相馬市から伏見区の市営住宅に避難してほどなく「都をどり」のアルバイトを始めた。

 震災のあと、断水した自宅で2日間過ごし、仙台市の姉の家に身を寄せた。余震が収まれば帰れる。そう思って母(81)の薬も持たずに飛び出したが、福島第1原発の事故が重なった。原発から約24キロの自宅は屋内退避区域とされながら自主避難を促された。「国や東京電力の説明は矛盾してる。信用できない」。家族7人で京都へ移った。

 母や1歳の孫を抱えて京都で暮らす。収入はない。何かをすることで、次々と頭に浮かぶ不安をかき消したかった。求人雑誌を手に次女(24)とアルバイトを探し、申し込んだ。あでやかな芸舞妓に感動し、劇場内の仕事を覚えるのに必死の毎日が、被災体験や今後の不安を忘れさせてくれるひとときになった。

 約3週間前。パソコンや衣類などの荷物を取りに一度だけ地元に戻った。「この先に行くなら自己責任」。原発から30キロの境界で警察官に止められ、突き放されたように感じた。人も車もほとんどなく、知った飲食店はすべて閉店。変わり果てた町の姿に打ちのめされた。原発事故が収まって帰れたとしても経営する雑貨店は再開できるのか。元の生活を取り戻せる−。そんな想像はできなかった。

 あの日のままの荒れた家の中で、持ち出せる服などを探した。「今までやってきたことは何だったの」。むなしさがこみ上げて被災後、初めて泣いた。「逃げることに必死で、そんな感情すら忘れていた」。涙が止まらなかった。

 京都市から届いた布団や食器など日用品に助けられた。京都の知人に伝えると「そんなにもらえるの」と言われた。「そんなに…」。何げない言葉だったかも知れない。ただ、悲しかった。山科区の市営住宅で、地元住民が被災者対象に開いた生活相談会の様子をテレビで見た。「私たちには開いてもらえないのかな」。住む部屋があり、生活できる状態でぜいたくは言えない、とうらやむ気持ちを押し殺した。

 「困ったことがあれば何でも言って」。地元住民や京都の取引先の言葉が心強い。京都花街組合連合会などが、各歌舞練場に被災者を無料招待するという知らせを聞き、孤独感を募らせる母を連れて行くことにした。

 アルバイトの期限は4月末。今後、本格的に仕事を探すとなると年齢の壁も乗り越えないといけない。「でも、負けない」

 観客の案内が終わる。劇場では「ヨーイヤサァ」の掛け声とともに、華やかな舞台の幕が開いた。

 ご感想や身の回りの支え合いについて、お寄せください。電子メールはminna@mb.kyoto−np.co.jp、ファクスは075(252)5454です。

【2011年4月20日掲載】