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(2)独り身アパート“大家族”

ノックの音に返事ない 隣人が枕元におかゆ
アパートの住人と話す倉田さん(中央)。退院し、穏やかな暮らしが再び、始まった(28日、京都市東山区)=撮影・水澤圭介

 声を掛けても返事はなかった。京都市東山区にある築数十年のアパート2階。ドアに耳を近づけると、人の気配はする。ノックして待つ。何度か繰り返したあと、姿を見せた倉田幸八さん(87)の顔からは血の気が引いていた。

 一人で暮らす高齢者の思いを聞きたいと、約束して訪ねた昨年11月。壁に手を突いてようやく体を支え、声を出すのもつらそうな倉田さんの姿に、記者はうろたえた。「ちょっと調子が悪い」。倉田さんは布団へ戻った。

 倉田さんと十年来の付き合いのある谷本千里さん(50)に事情を説明した。谷本さんは、路上生活から居宅に移った人を支援する「きょうといのちのネットワーク」代表。すぐに倉田さんに電話をかけた。声に張りがなかった。

 倉田さんの身を案じていた人は、ほかにもいた。

 隣室の井上節子さん(66)はその夜、壁越しに聞こえた、いつもと違うせき込みに異変を感じ取った。

 独り身同士で毎日、部屋を行き来している階下の槌谷澄代さん(76)と相談した。「おせっかいと言われても、放っておいて後悔はしたくない」。翌朝、2人で倉田さんにおかゆを届けた。

 昼すぎ。谷本さんが部屋を訪れた。倉田さんは立ち上がれず、もうろうとした状態。谷本さんは救急車を呼んだ。ふと、梅干しと塩昆布を添えて枕元に置かれたおかゆに目を奪われた。「誰かが、ちゃんと様子を見てくれてる」

 縁の始まりは、谷本さんが支援活動の一環で、寺町通の商店街を歩いていた倉田さんに声を掛けたことだった。倉田さんは大阪で日雇い労働に長年従事した末、京都に来た。「人の世話にはならず、持ち金が切れたら餓死しよう」。そう思っていたころだった。

 独りぼっちの当時と、今はまるで違う。谷本さんはうれしくなった。

 倉田さんは、抵抗力が弱り、ウイルス感染していると診断された。アパートの住人は入院先を見舞った。みんなでお金を持ち寄り、バナナや果物の缶詰を差し入れた。

 高道夫さん(74)もその一人。倉田さんが引っ越してきて以来、長年親交を深めてきた。自室でコーヒーを一緒に飲み、身の上話や日々の出来事を語り合う。毎朝、倉田さんが好きなスポーツ紙のページを届けてきた。

 アパートには、歩けばきしむ廊下に沿って14世帯が肩を寄せ合う。ほとんどが高齢の単身者。足腰が弱った住人の買い物を代行したり、煮物を分け合ったり。「足音で誰か分かる。一つ屋根の下でみんなで暮らしてると思ってます」。退院の日、高さんは病院まで迎えに行った。

 倉田さんはずっと独身。6畳一間。「でも今の生活が、一番ありがたい。無償の善意にお返しして、とことん生きたい」

【2011年5月3日掲載】