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(4)「欲出さず」重荷解けた

不登校の娘 就職、結婚は? 深呼吸の毎日「親の会」へ
不登校やひきこもりの子どもを持つ親の会で参加者の話に耳を傾ける上坂さん(中央)=3月12日、京都市東山区

 「息ができひん」。就寝中だった小学6年の次女が突然、うめき声を上げた。驚いてふとんをめくる。大きなじんましんが、体のあちこちにできていた。

 京都市東山区で食堂を営む上坂秀喜さん(53)は、13年前の夜のことを鮮明に覚えている。その後長く続く、苦悩と葛藤の始まりだった。

 次女の異変の原因は、強いストレスと診断された。「ただいまー」と元気に学校から帰っていたのに、無言で帰宅するようになった。しばらくして、学校でいじめに遭っていると打ち明けた。

 次女が学校に行けなくなったころ、妻が持病で入院した。娘に、一人で向き合わざるを得なくなった。

 学校と相談しても解決につながらず、不登校のまま小学校を卒業した。中学校にも通えず、夜中はテレビやゲームで過ごし、昼に寝る逆転生活となった。「こんなことでは社会に通用しない」。父親として娘の将来を案じた。いつでも学校に行けるよう、教科書を机の上にそろえておいた。そんな机を見て、次女は嘔吐(おうと)した。

 周囲の友人に娘のことを話しても、「かわいそうやね」で終わってしまう。相談する場所もない。一人で悩みを抱え込んだ。仕事を終え、疲れた体で近くの自宅へ帰る。玄関前。家の中の重苦しい空気を感じる。深呼吸してから扉を開ける日が続いた。

 そのころ、市内で「不登校の親の会」が立ちあがったことを知った。参加した例会。思いを一気に話すと、涙があふれた。静かに耳を傾けていた参加者が言葉を掛けてくれた。「よくここまで頑張ったね」。同じ仲間がいる。背中の重荷が、少し軽くなった気がした。

 毎月の例会に参加を続けた。でも、「普通の女の子のように学校へ行って、就職して、いずれ結婚してほしい」という思いが拭い切れない。それを察したかのように、ゲスト講師に尋ねられた。「娘が生まれた時、どう思った」。元気で生まれてきてくれたのが、ただうれしかった。「それで満足したらいい。欲を出すからしんどくなる」

 さまざまな保護者の話を聞き、学校や就職だけがゴールではないと思えるようになった。「親はしんどいが、子どもはそれ以上に苦しんでいる」とも気付いた。

 次女は通信制の高校を卒業し、今は家で読書したり、時折アルバイトをしながら過ごす。親子共通の趣味で、月2回ほど一緒に映画を見に行く。娘との静かな日常が、かけがえのないものに思える。

 5月中旬の夜。経営する食堂の2階に、不登校やひきこもりの子どもを抱える保護者8人が集まった。10年前に仲間と立ちあげた東山区の親の会。父母の話に、うなずきながら耳を傾ける。かつて自分が、誰かにそうしてもらったように。

「私たちは世間でもまれた」けれど 人生勝ち負けなんてない

不登校の子どもを持つ保護者らの相談に応じる京都市教委の窓口。母親に比べ父親の姿は少ない(京都市中京区・こどもパトナ)

 全国の小、中学校で不登校の児童、生徒は2009年度で約12万2400人に上る。近年は微減傾向だが、文部科学省は「依然として教育上の大きな課題」としている。わが子が不登校になった時、父親はどう向き合えばいいのか。経験者や支援者に聞くと男親ならではの難しさが見えてくる。

 不登校やひきこもりの若者の居場所づくりに取り組むNPO法人「パレットハウス」(京都市中京区)の河村千惠子理事長(61)は、男親の赤裸々な心情や弱音を聞いたことがない。

 保護者の集まりに参加するのは、ほとんど母親ばかり。「女性はみんなで集まり、身の上話をしてすっきりできる。でも男性は集まるのが苦手で、本音をみんなの前では話さない」と語る。

 不登校の原因を妻の育て方のせいにしたり、無関心を装ったり。河村さんが知っている男親たちは、わが子に正面から向き合うのが苦手のように思えた。

 三男が中学生の時に不登校となった南区の安藤修さん(63)は「私たちが子どものころはどんなことがあっても学校には行っていたので、不登校を理解するのは難しい」と大多数の父親の気持ちを代弁する。

 安藤さんは仕事で家庭を支え、子どもを静かに見守ることに努めた。それでも、突然吐血した。診断は十二指腸潰瘍。「小言を言わないようにしていたが、やはりストレスはたまっていたんでしょう」

 京都市内で初めて親の会を立ちあげた上京区の呉服業古河一秀さん(58)は、父親がわが子、特に息子と向き合うことの難しさを指摘する。

 長男は中学1年でいじめをきっかけに不登校になった。当初は、何とか早く学校へ復帰させたいという思いが強かった。「私たちは学校や社会の荒波の中でもまれながら、頑張って地位や家庭を築いてきた。息子の不登校を認めることは、そんな自分の生き方を否定することになり、プライドが許さない」

 長男は中学校へは結局通わなかったが、テレビで見た山の番組をきっかけに自らの意志で山登りを始めた。高校は定時制に通い、小遣いを稼ぐため新聞配達をやりだした。親の心配をよそに、長男は自分の力で着実に成長していった。

 「息子を何とかしてやろうというのは、親の思い上がりだった。とことん、子どもを信じてやろう」。そう考えると肩の力が抜け、気持ちに余裕が生まれた。

 長男は大学在学中に結婚し、今は会社員として働いている。古河さんは2人の孫の世話に追われる日々だ。「『勝ち組、負け組』などと言われるが、生き方や価値観はもっと多様なはず。それに気付かせてくれた息子に、今は感謝している」

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【2011年6月9日掲載】