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第3話 高石ともやさんと家族 「妻を、母を、自分が支える」

みんなが少し 生き方変えた
自宅2階の部屋でギターを弾く高石ともやさん。「がんと闘う妻のため、優しい音を奏でたい」(京都市西京区)
 「燃えてるね」
 「うん。今年も見られたね」
 八月十六日夜。窓の外、遠い東の山肌に大文字が赤々と浮かび上がった。京都市西京区の自宅の二階。夫婦並んで、暗闇で揺れる炎を眺めた。「あれから二年がたつんだね」。二人、今ある命の喜びが胸にしみた。
 「末期の大腸がんです」。一昨年九月、フォーク歌手高石ともやさん(66)の妻てるえさん(64)は上京区の病院で告知を受けた。腰に痛みを感じていたが、趣味のマラソン疲れだと思っていた。
 セカンドオピニオン(別の医師の意見)を求め、近畿や関東の病院を回った。兵庫県の病院で、医師が断言した。「もって五、六カ月。骨への転移が早くなる可能性があるから、手術はしない方がいい」。恐怖がてるえさんの心を覆った。
 余命半年…。ともやさんも混乱した。「今の自分があるのは妻の支えがあってこそ。この先、どうなるんだ」
 重い空気を、てるえさんのほほ笑みと言葉が変えた。「苦しい時こそ、陽気にゆこう。昔から、わたしたちの合言葉でしょ」
 そう、前を向かなければ。夫婦と同居する長女田鶴さん(38)、移住していたフランスから十数年ぶりに帰国した長男憲導さん(36)の家族四人。話し合い、最初に告知を受け、「手術は可能」とする上京区の病院で、大腸の部分切除手術を受ける道を選んだ。
 一カ月の入院を経て帰宅。通院での抗がん剤治療が始まった。
 てるえさんは病気が分かるまで、コンサートへの出演依頼対応から経理全般を含む歌手業のマネジャーと、家事を当たり前のようにこなしてきた。
 笑顔の裏で、強いストレスがかかっていたのか。「毎日の暮らし方を変えなければ、病気は良くならない」。ともやさんは常に「より濃く、より多く」を求めてきた歌の仕事を減らす決意を固めた。
 憲導さんは海外でのデザイン関連の仕事を辞めた。てるえさんを車で病院まで送り、本人が直接言いにくい要望を医師に伝える役割に専念した。田鶴さんは家事を担い、家族の気分が沈みがちな時、気丈な言葉と笑顔で家の中を明るくする。
 「妻を、お母さんを今は自分が支える」。一人一人が少しずつ生き方を変え、新たな家族の形で歩み始めた。

新しい日常 かみしめて

マラソンの道中、明るく夫を励ますてるえさん。ずっと笑顔で家族を支えてきた(1993年、アメリカ横断マラソンで)
 京都市西京区の歌手高石ともやさん(66)は一九六〇年代から、日本のフォーク界の草分け的存在としてギターを弾き、「受験生ブルース」などのヒットを飛ばした。歌で妥協はしたくない。曲作りに没頭するあまり、無意識のうちにギターを床に投げつけた時もある。コンサート準備に完ぺきを求め、いらだつ日もあった。
 妻てるえさん(64)はいつも隣にいて、穏やかに文句も言わず応援してくれた。
 ともやさんは「自分らしく生きる力をつけたい」と三十代で始めたマラソンで、一九九三年、四七〇〇キロに及ぶアメリカ横断に挑んだ。山脈、砂漠を越え、ただ走る。「やめてもいいよ。これはゲームなんだから」。サポート役を務め、さらっと言うてるえさんの明るさに何度も救われ、六十四日で完走した。
 てるえさんの病が分かってからの日課。一時間以上かけ、ともやさんがてるえさんに話し掛けながら、背中に灸を施す。「がんとの闘いはまるで長いマラソンのようだね。今度はてるえさんが主役のランナーだよ」
 抗がん剤治療を始めた当初、てるえさんは副作用の苦痛に「心も体も地獄へ引き込まれていくよう」と、ともやさんにこぼした。
 食べても味が感じられず、食欲が出ない。ひどい日には、足がしびれて歩けない。
 「日々を楽しむ感覚を大切にしたい。それを大きく失って、効果だけ求めるやり方は自分らしくない」。てるえさんの思いを長男憲導さん(36)が担当医師に理解を求めながら伝える。実際に抗がん剤の量を半分や四分の一に減らしたりと、心と体と相談しながら治療を続けてきた。
 検査で病状の目安となる腫瘍(しゅよう)マーカーの値が悪かった時、病院から戻ったてるえさんの表情は沈んでいた。長女田鶴さん(38)が声を掛ける。「いい時もあれば、悪い時もあるよ。みんな一喜一憂しないようにって決めたよね」。真っすぐな言葉がうれしかった。
 体調が良い日は、夫婦でウオーキングに出掛ける。夏はセミの声が耳に響く。「うるさいと思っていたけど、今は応援に聞こえる」と、てるえさん。「セミだけじゃなく、僕も応援してますよ」と、ともやさん。がんになる前にはなかった日常が今はある。
 歌手業のマネジャーの仕事は、夫婦の長年の友人二人が引き受けてくれている。
 ともやさんは思う。「家族と仲間。てるえさんががんになり、周りにいるみんなが自然と役割を変えた。でも本当に誰も無理はしていない。病気の前から支え、支えられる絆(きずな)があった。その優先順位が変わっただけ」
 広い窓がある二階の仕事部屋。ともやさんがギターを奏でる。抗がん剤の点滴を終え、てるえさんが病院から帰ってきた。音色が耳に届く。「今日も楽しそうに弾いてる」。響きに優しさを感じ、心がほぐれていく。
 「がんが完全に治るのは難しいかもしれないけど、負けずに、引き分けくらいで歩いてゆこう」
 走ることはできなくても、歩いてゆこう。
(京都新聞朝刊2008年11月20日)

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