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第4話 見えぬ影 再発の恐怖 当事者同士 分かち合う

「切って体の中を見てほしい」
がん患者が集まる「葉月プラナスの会」。種池さんも抱える悩みをはき出し、和やかに談笑を楽しむ(京都市上京区・府庁旧本館)
 「見えないから不安ばかりが募るんです」 十月。京都市上京区の府庁旧本館の一室。同区の蒔絵(まきえ)師種池比良夫さん(75)は静かに胸の内を語り始めた。
 NPO法人(特定非営利活動法人)「京都がん医療を考える会」(中京区)が毎月二度開く「葉月プラナスの会」。通う病院や患った場所に関係なく集まった患者ら十人が耳を傾けた。
 種池さんは三年前に肺がんが分かった。数ミリの小さな影。胸を大きく切らない胸腔(きょうくう)鏡手術で済むはずが、見ると、肺の裏いっぱいにがんが広がっていた。結局、胸から脇にかけて十センチ以上開き、左肺の上半分を切った。
 抗がん剤の点滴投与を終え、担当医は言った。「あと三年、異変がなければ根治です」
 しかし、昨年八月から、がん発病の目安となる腫瘍(しゅよう)マーカーの数値が上がり始めた。ところが、どんな検査を試しても、がんのある場所が分からない。
 「切って体の中を見てほしい」。種池さんは頼んだ。医師は「場所が特定できない限り手術はできない。様子をみましょう」。
 種池さんは同じ病院に同じ時期に通っていた五十代の女性と言葉を交わすようになった。彼女も検査画像にがんがあまり写らなかった。だが、実際は両の肺の裏一面にがん細胞があった。医師は胸を開けてから手遅れと判断。切除せずに閉じた。
 抗がん剤治療を続けていた彼女に今年六月、電話をかけた。つながらない。家を訪ねると「忌中」の札。前の月に亡くなっていた。
 「どうして…」。もっと早く、がんを見つけられなかったのか。自分も本当は見えない所でがんが進行しているんじゃないか。言いようのない不安で胸が苦しくなった。
 打つ手がない。同じ悩みを持つ人がいたら、不安やもどかしい思いを分かち合いたい。
 種池さんは葉月プラナスの会を訪ねた。九月に初参加、これまで四度顔を出した。同じ境遇の人には出会えない。でも、手術後も再発の確率が高いC型肝炎による肝臓がんと闘う人。肺がんだが「今度、がんによく効く温泉に行きますねん」と笑う人。十人十色の悩みと生き方があった。
 打ち解けると、和やかな雰囲気。種池さんも存分に話せた。「妻にも友人にもがんの話はできるが、ここまで深く細かく語って分かり合えるのはやっぱり当事者同士だから」。一人じゃない。その安心感で気持ちがやわらぐ。

自分だけの孤独でない

乳がんの再発後も「生きがい」として登山を続ける木下庸子さん(左から2人目)。山の自然と、仲間との会話が元気の源になる=京都府大山崎町
 雨上がり。赤や緑の葉に滴がきらめく。大津市の主婦木下庸(つね)子さん(61)は今月十六日、登山仲間六人と西山に出掛けた。「山はエネルギーに満ちていて、心も体も癒やしてくれる」
 登山は学生時代からの趣味。長年、ほぼ毎月、どこかの山に登ってきた。がんを患う以前も。その後も。
 一九九一年、四十三歳で乳がんになった。告知が今より敬遠されていた時代。医師は詳しい病状を語らなかった。言われるまま放射線治療などを受けた。自覚症状も治療の痛みもない。がんになった実感が全然なかった。
 五年後、胸のしこりに気づき、再発が分かった。定期検診では見逃されていた。体にがんが潜み、知らぬ間に増えていた。「医者任せではいけない」
 がんについて書いた本を何冊も読んだ。
 「自分が自分の主治医」。心と脳の働きで治癒力を高めるという「生きがい療法」をすすめる本に共感した。著者は岡山県の医師伊丹仁朗さん(71)。毎月、伊丹さんが京都市左京区で学習会を開いていることを知り、翌月すぐに参加した。
 再発したがんを抑えるには乳房を全摘出するべきか。趣味の登山を手術後も続けてもいいか。庸子さんは悩みを打ち明けた。
 「長い人生です。全摘した方がいいでしょう」。伊丹さんが明快に答えた。「登山は立派な生きがい。心にも体にもいいはず。続けて下さい」
 自分で選んだ大津市内の別の病院に移り、全摘出手術を受けた。「乳腺とリンパ節は切り取っても胸の筋肉は残して」。手術後も家事や趣味にと生きたい希望を文書で医師に伝えていた。後悔はない。がんと、向き合った。
 再発から四年後の二〇〇〇年八月、木下さんは「がん克服日米合同富士登山」に参加した。山小屋で嘔吐(おうと)したり、点滴を受けた人もいたが、二日かけ、参加した闘病者の大半が頂(いただき)にたどり着いた。
 あの日も雨上がりの登山だった。「雲が消え、広がった青空がとてもきれいだった」
 「再発の怖さは何年たっても消えないと思う」。がんという病気は症状が治まった後も、長く患者を苦しめる。
 庸子さんは毎月の学習会で仲間に会い、山に登り続ける。「笑顔でいる時間を増やすことが、がんに負けない方法」と信じている。
 胃がんを手術した京都市左京区の社会保険労務士、中家延子さん(52)も、病院で知り合ったがん患者との会話が「大きな支えになった」と話す。
 二年前、胃がんを告知された時は「来るべきものが来た」。三十半ばで開業して以来、体も顧みず走り続けてきたからだ。
 「元気な世界から、自分だけ別の世界に入り込んだような孤独」に襲われた。支えてくれたのは、友人と患者仲間の体験話だった。そして今は思う。「がんはゆっくり進行するし、自分の考えを治療に反映させることができる。人生を考え、計画を立てることもできる。決して悪くない」
 幸い早期発見で治療できた。今、切除した胃の一部の写真を、携帯電話に入れて持ち歩く。花が咲き、鳥がさえずる−。ありきたりの日常の風景に、命の重みと生きている幸せを感じた退院後の思いを忘れないように。
 「いずれ死ぬなら、がんがいい。命をみつめて尊厳を持って生きたいから」
(京都新聞朝刊2008年11月21日)

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