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第5話 貫き通す 自分の生き方 独り がん乗り越える

逆境で笑って 可能性に賭けた
のどのがん治療から復帰した前田さん(中央)を学生が囲む。「人生を楽しめるかは自分次第」。若者に伝えたいことが山ほどある(大阪府東大阪市・近畿大)
 「イッツ ショー タイム!」
 手術前。手を広げて叫んだ。あぜんとする見送りの看護師を背に、執刀医と集中治療室へ向かって歩いた。
 近畿大准教授(マスコミ論)の前田益尚さん(44)=大津市。昨年三月、のどのわずかな膨らみに気づいて検査を受けた。下咽頭(いんとう)がんだった。
 始まったばかりのゼミの二回目。「がんになった。明日から入院する」。ゼミ生十人に告げた。「メディアの情報の受け手は視点一つで新たな発想を生める。こちらが常に主役なんだ」。九十分間で「一年分しゃべった」。
 入院。医師が示した治療法は二つ。余命五年で生存率50%の放射線治療か。声帯ごと患部を切り、がん完治の確率が高い手術か。
 「教壇で学生の顔を見ながら話すことだけが生きがい。声を失って生き続けることは望まない」。明確に意思を伝えた。医師は考え、声帯を残しつつ手術できる京都大付属病院にいた外科医(当時)を紹介した。
 のどの患部を切り、左手首の皮膚と筋肉などを移植する。神経を痛めれば、左半身がまひするかもしれない。「それでもいいか」と外科医は聞いた。
 独身。守るものはない。「可能性があれば失敗の代償が大きくとも賭ける」。前田さんはうなずいた。
 「病院は日常にないことずくめのテーマパーク」「治療はスリルを味わうアトラクション」。前田さんは「発想の転換で逆境を楽しみ切る」と心に決めていた。受験や就職に悩んだ時もそうした。自分の生き方をがんになっても貫き通す。
 「がん患者より『ガンマン』と呼んだ方がかっこいい」。入院初日から看護師たちの笑いを誘ってきた。
 手術前夜、急に怖くなった。「本当にがんなのか。なぜ、こんな危険な手術をしなければならない?」。何も言わずそばで聞いてくれた看護師がいた。
 手術は成功。声が出せた。リハビリや抗がん剤の副作用に耐え、今春、大学に戻った。
 「先生は絶対帰ってきはる」。前田ゼミの学生はほかに移らず、復帰を待ってくれていた。講義でがん闘病の体験談も話す。学生たちの長い人生、きっといろんなことがある。「逆境に負けるな。どんな時でも笑って未来を切り開け」。ひそかに心の拠(よ)り所(どころ)だった君たちに、熱い思いを語る。

何事も一人 覚悟ある

がんの手術前と同じ声は出るだろうか? 「大丈夫」。練習を重ねるソプラノ歌手の松下悦子さん(京都市左京区)
 「体は楽器」。その唯一無二の体が、がんに侵された。京都市左京区のソプラノ歌手、松下悦子さん(48)は今年六月、乳がんの中でも「粘液がん」と診断された。  「たちのいいおとなしいがん」と医師に言われ、あれこれ説明を受けた。けど、「何をいうてはるか分からへん」。インターネットや本で必死で調べた。粘液がん、浸潤がん、予後…、そして病院探し。がん告知でスタートラインに立った。  体への負担を考えて内視鏡手術にこだわった。本で得た情報では可能なはず。しかし、告知した医師は無理という。  セカンドオピニオンを求め、別の医師のもとへ。内視鏡で手術できるとの言質を得た。「何事も自分が納得しないとダメ。この性分が生きました」  離婚して今は一人暮らし。年老いた両親に心配はかけたくない。何事も一人で決断した。  九月に、大阪のホールで恒例のリサイタルを予定していた。手術を延ばす選択肢もあったが、リサイタルを延期した。「歌は自分しかできないテリトリー。万全の形でやりたいから」  九月一日、一人でスーツケースを引いて入院した。「絶対に声帯は傷つけないでください」と医師に何度も念を押した。五時間かけての手術だった。  再発の不安はある。「おびえてばかりはいないけど、覚悟はあります。だからね、自分の体は自分で守らなあかんと心底思う」  十二月にヘンデルの「メサイア」を歌う。「楽器」は再び豊かに鳴り響く。そう信じている。  仕事や人間関係に悩んでいた。五十二歳で会社を退職。「自分の心が変われば人生が変わる」と信じ、禅宗の寺に飛び込んだ。修行を重ね、僧籍も得た。  そんな四年前、高槻市の僧侶石滝玄龍さん(73)は血液がんの一種「骨髄異形成症候群」と診断された。効果的な治療法はない。  独身。告知は冷静に受け止めたが、寺を離れ、十数年ぶりに戻った自宅では常に一人。不安で悲観だけが頭を巡る。「今までの修行は何だったのか」  食欲が出ず、立っていられない。京都市内の病院に約一年、入院した。その図書館で一冊の本に出会う。大病を繰り返した小説家遠藤周作のエッセー「死について考える」。  −死に面した時、立派なことを言える自信はない。「苦しい、死にたくない、助けて」と叫ぶ可能性だってある。隠さず、すべてを委ねればいい−。  言葉が胸にすっと落ちた。自分の弱さに素直であろう。「死ぬのは怖い。本能が怖がるんだから仕方ない。だからこそ、今を大切に生き抜くしかない」  昨年六月の退院後、今を生き抜くための「死に支度」を始めた。家で急逝しても早く見つかるよう、十二時間動かなければ警備会社に自動通報する機器を備えた。火葬や納骨を任せる後見契約も結んだ。  病は進行し、十月の検査で白血病になっていた。月二回、輸血して体力を保つ。それでも患者会や同窓会に映画…。あちこちへ出かける。そして長い夜は、書物を追う。  病に苦しんだ俳人正岡子規の「墨汁一滴」。「閻魔(えんま)大王との会話を空想したり、病床でもユーモアを忘れない生き方に、どんな仏教書より勇気づけられた」。よし。わたしも死が訪れるその日まで、周りの人を笑わせて楽しくいこうか−。 (京都新聞朝刊2008年11月22日)