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障害者の母 がん告知 子どもに今できること

一緒に暮らそう 「人生 今が幸せ」
幼いころの足形や写真が並ぶ自宅で耕祐さんは暮らす。冬に向けて風邪を引かないよう母の貴子さんは入念に介護する(京都市伏見区向島)
 京都市伏見区向島の市営住宅に暮らす在日韓国人の金岡貴子さん(58)は三十年前、和歌山県の白浜駅に立っていた。断崖(だんがい)の名所、三段壁から身を投げる決心だった。
 腕の中には障害を持つ三歳の長男。刹那(せつな)、彼がにっこり笑った。「お母さん一緒に頑張ろうよ」。そう話しかけてくるように。我に返り、とどまった。
 長男の耕祐さん(33)は生後八カ月の時、髄膜炎を発症し重度の心身障害になった。
 夫は働かず、酒を飲むと暴力を振るった。長男と、七歳と一歳の娘も抱きかかえて夫の家を出た。住む所も仕事もなかった。「必ず迎えに来るからね」。そう約束して、三人を施設に預けた。
 当時、在日外国人には母子家庭や障害児への福祉手当はなかった。朝の三時から夜まで、とにかく働いた。生活基盤を少しずつ整え、娘二人と一緒に暮らせるようになった。
 だが、長男は年を増すごとに障害が重くなり、体が弱っていった。風邪をひくと肺炎をおこし、何度も危篤状態に陥った。施設の医師は言った。「お子さんは、ろうそくの火が消えるように、いずれ亡くなります」。自宅で一緒に暮らすことはあきらめた。
 貴子さんは六年前、大腸がんが見つかった。手術で病状は落ち着いたが、長男への胸のつかえは日に日に増していった。「あの子のために自分は何をしてあげたのか。迎えに行くと約束したのに」
 あんなに体が弱かった息子の状態がこの三年は安定している。「今しかない。もう後悔したくない」。今年十月、三十年ぶりに耕祐さんを自宅に引き取った。
 貴子さんは今、毎日訪れるヘルパーの協力も得ながら、耕祐さんの介護にあたっている。鼻からチューブで食事を注ぎ、体位の交換や投薬、蒸気の吸入など、介護ノートにはメニューがびっしりと書き込まれている。
 部屋には、幼いころの写真や施設の職員が書いた寄せ書きに交じって、阪神タイガースのグッズが並ぶ。貴子さんが大ファン。耕祐さんもファンクラブに入った。「来年、応援いこな!」。耕祐さんの胸をさすると笑顔が返ってきた。
 「わたしの人生、今が最高に幸せ」

2人残し まだ死ねない

まぶしい日差しと黒潮の風が母子を暖かく包む。手術後、静子さんは3カ月ぶりに息子たちと会い、海辺でお弁当を広げた(和歌山県美浜町)
 診察室で検査の結果を医師から告げられた。「がんです」
 その言葉を聞いても、障害のある二人のわが子のことを案じると、落ち込んでいる暇はなかった。「あの子たちを残してまだ死ねない。絶対に帰ってくる」。清陀静子さん(67)は今年夏、人間ドックから大腸に二カ所のがんがあることが分かり、九月に腸を切除する手術を受けた。
 京都市東山区で生まれ育った。実家は清水焼の窯元。二十六歳で大阪のお寺に嫁いだ。夫は三つ年上。酒を飲まず、毎日のお勤めをしっかりこなすまじめな住職だった。しばらくして、男の子ができた。先天性の小児まひだった。
 「何とか治りませんか?」。どんなに医者を回っても、良い答えは返ってこなかった。身体と知的の両方に重い障害のある重症心身障害。ご飯を食べるのも、お風呂に入るのも、生活すべてに介助が必要だった。
 「訓練すれば良くなるはず」と信じ、同い年の子が元気に幼稚園に通っている時、リハビリ施設でハイハイとお座りの練習を泣いても泣いても繰り返させた。三年間頑張ったが「もうこれ以上は良くならない」と言われた。
 四つ下に次男ができた。言葉が出る時期になって話さない。「もしかしてこの子も…」。知能に障害がある自閉症だった。
 重い障害のある児童は自宅か施設にいるしかなかった時代。長男の小学校の就学通知書は届かなかったが、学校と教育委員会に受け入れを求めて何度も足を運んだ。「自分が落ち込んでいたら子どももだめになる。自分で切り開いていけばいい」
 春には、晴れて入学。長男を乗せたバギーを押し、次男を連れて毎日一緒に登下校した。
 夫は三十九歳の時、胃がんで倒れた。三年後、家族を残して逝った。守ってやれるのは自分だけになった。この子たちが生涯ゆっくりと暮らせる場所はどこにあるのか。京都にいる兄たちに負担はかけたくない。二人を連れて和歌山県白浜町に移り住んだ。
 長男の弘文さん(39)、次男の友弘さん(35)は今、それぞれ県内の障害者施設で暮らしている。月に一回、自宅に泊まりで帰ってくる。
 静子さんはがんの手術を終え、今月四日、三カ月ぶりに二人に会いに行った。
 静子さんが車のハンドルを握り、友弘さんを乗せて海岸線を一時間ほどドライブ。「友ちゃん、ずっと待ってたんか」。話しかける。スピーカーから、幼児向け番組のお姉さんの歌声が流れる。
 弘文さんのいる施設に着いた。部屋の入り口にお兄ちゃんは座っていた。数日前からここで待っていたという。静子さんはしゃがみ込み、ギュッと抱きしめた。
 一時帰宅から施設に戻る時、寂しそうにいつも泣いていた子どもたちが、最近は笑顔を見せるようになった。「もう大丈夫だよ。自分で生きていけるよ」。まだまだ心配だけど、そう言ってくれている気がしてきた。
(京都新聞朝刊2008年11月24日)