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第7話 梅原猛さん 3度患い克服 神仏に生かされた 実感

「がんよ、自由をありがとう」
3度のがんを経てなお著作活動に意欲を燃やす哲学者の梅原猛さん。食事や歩くことも気遣うようになった(京都市上京区・京都御所)
 不思議に「黒い友人」は自分の干支(えと)の年にやってくる。六十歳。血の中に便が浮いていた。大腸がんだった。
 その十二年後、自他ともに認める健啖(けんたん)家が、食べるものがおいしく感じない。おかしい。政府の使節団メンバーとしてフランスに行くはずだったが、とにかく断った。胃がんが見つかった。
 「両方とも動物的な勘が働いて、早く医師に見せたのがよかった。発見が少し遅れていたら、危なかったと言われた」。哲学者の梅原猛さん(83)=京都市左京区=は笑う。
 釈迦(しゃか)がいう生・老・病・死の「四苦」のうち、がんという病で老いと死に向き合った。三苦が集中した訳だ。「つくづく、これまで死を忘れて生きてきたと思った」
 耽溺(たんでき)したドイツの哲学者ハイデッガーがいう「死を覚悟することで、生命が透明に見える」ことも体験した。無駄なことにはとらわれまい。やりたい仕事をやらなければ。右翼からも左翼からも攻撃されると躊躇(ちゅうちょ)していた天皇の日向神話にかかわる著作を、快復してからまとめた。
 黒い友人の次の訪問は、干支の八十四歳かと思っていたら、今度は二年早かった。昨春、前立腺がんを患った。放射線やホルモン治療で去ってもらった。
 「三度の原発がんを克服したら、さすがに神仏に生かされているのかなと感じるんだ。ハラができた。がんが来て去っていくたびに、自由になっていく。がんよ、ありがとうの気持ちだ」
 浄土教は人の命は無限に続く流れの一環とみる。生死繰り返しの思想だ。「非科学的に思われるが、よく考えれば私の体がなくなっても、遺伝子は子から孫へと受け継がれて永久の命を燃やしていく。今は、この思想をほぼ信じている。それが実感なんだ」
 だから仏教者は、がん医療、末期医療に、もっと出て来てと願う。西洋では、医師とキリスト教の牧師が手を携えている。ホスピスもそうして生まれた。
 「戦後、仏教が世襲の商売になってしまった。医師と仏教者が垣根を越えて、死にゆく人の心を救う仕事をしてほしい。がんに体が侵されても、心まで病んではいけない」
 親鸞も富岡鉄斎も八十歳を過ぎてから、あまたの著作を残した。次の干支は九十六歳。あと十三年。「四度目はそこまで待ってほしい。まだまだ書かねばならんことがある」

ビハーラ 仏教の看取り

診療所の一角には本尊を安置した多目的ホールがある。患者とのお別れ会なども開く(城陽市奈良下ノ畔・あそか第2診療所)
 城陽市の南端。国道24号とJR奈良線に挟まれる形で、「あそか第2診療所」が立つ。
 今年四月にオープンした。国内有数の伝統教団、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)が運営する。十九床の入院施設を備え、通常の診療に加えてがん患者の「緩和ケア」に取り組み始めた。僧侶を常駐させ、患者の精神的なサポートや看取(みと)りに力を入れる。
 診療所の別名は「ビハーラクリニック」。ビハーラはサンスクリット語で僧院、安らぎの場所などの意。今は「仏教の理念で行う緩和ケア」、「仏教ホスピス」を指す言葉として広がりつつある。
 本願寺派は一九八六年からビハーラ活動を始めた。「いのちの苦悩や不安に共感し、ほんとうの安らぎを実現しようとする活動」と定義する。阪神大震災では避難所を訪問、高齢者施設で法話や介助を続けてきた。
 ビハーラをうたう緩和ケア病棟は、真宗大谷派の僧侶が開設した新潟県の長岡西病院がすでに知られる。あそか第2診療所は宗祖親鸞の七百五十回遠忌事業の一環で、本願寺派が宗門として設けたのが特徴だ。
 終末期ケアなどに詳しい四天王寺大の谷山洋三准教授は「仏教系の伝統教団は葬式の時だけ存在を思い出させる『葬式仏教』と揶揄(やゆ)されてきた。その教団の一つが腰を上げた意義は大きい」という。伝統教団は何ができるのか。全国的に注目されている。
 診療所の一角にはホールがあり、正面中央には本尊が安置されている。毎日、午前八時半からスタッフ全員でお勤め、午後四時からはお参りの時間を設けている。
 スタッフは医師、看護師、事務職、そして「ビハーラ僧」と呼ばれる僧侶の打本弘祐さん(29)の二十人。みんな私服だ。
 打本さんは毎日、患者のそばに寄り、「どうですか」と声をかける。昼食をともにした時、患者が目の前の料理から思い出を語り出した。故郷の話、失敗談やうれしかったこと…。死への不安を口にする人もいる。こちらから何かを話すことはない。患者が求めなければ仏教の教えも口にしない。ひたすら、「聞くことです」。
 ただ、診療所である以上、患者の声は医師や看護師に届くことが多い。打本さんに「医療の邪魔になってはいけない」との戸惑いは隠せない。一方で、本願寺派が運営する意味もある。長岡西病院は墨衣の僧がいるのが日常の風景という。「私がいることだけで仏さんが感じられるような存在になりたい」。手探りが続く。
 九月までの半年間で延べ三十二人の患者を受け入れた。他に入院できる施設がなかったためで、ここを目指してきた人は少ない。十九床が満床になったこともない。
 緩和ケアや終末期の施設は必要とされているはずだ。今後はがん専門診療所として形を整え、外来や訪問診療にも力を入れていく。浦谷一夫事務長は「まずは認知度を上げること。緩和ケアのネットワークをつくり、京都の南部でその一端を担いたい」と話す。
  「ここは人生の終着駅だと思っていたが、天国への始発駅となりました…」。十月に亡くなった男性は、こんな手紙を残していた。スタッフ全員が手紙のコピーを見返しては、自らを奮い立たせる。伝統教団の試みは始まったばかりだ。
(京都新聞朝刊2008年11月25日)

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