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第8話 夫・往診・ヘルパー 支えに 在宅で過ごす 決断した

ペット一緒 居間で迎えるお正月
プレーリードッグからもぬくもりが伝わってくる。家でご飯を食べ、お風呂に入れることがうれしいと妻は言う(京都市伏見区向島)
 夫婦が暮らす京都市伏見区向島の市営住宅の一室に、ヘルパー(訪問介護)の若い女性が来た。末期がんの妻(45)の介護を担当している。夫婦から誕生日プレゼントの花束をもらった。世間話が弾む。話題はダイエットに。妻が「急にやせたらシワできるよ」と腕を見せる。「ほら」。自然と笑いが広がった。
 夫(62)と暮らす妻は昨年八月から自宅で療養生活を送っている。退院時に余命は一年と言われたが、家族と医師、介護スタッフの三者の支えを受け、慣れ親しんだ日常の空間で過ごせる喜びをかみしめている。
 二人とも石川県出身。妻がアルバイトしていた喫茶店で、客だった夫と知り合い結婚、京都に移り住んだ。子ども二人を育て終え、これから自分たちの時間を楽しもうと思った矢先の暗転だった。
 二年前の夏、腹部が痛み、病院で検査して胃がんと分かった。手術はしたが、すでに転移していた。抗がん剤治療もしばらくして止めた。治療の手だてはないという。病院から「退院してください」と告げられた。
 自宅に戻ったころは不安で仕方がなかった。「ご飯が食べられなくなったらどうしよう」「最期に受け入れてくれる病院はあるのか」。悩みながらホスピスを探したこともあった。
 でも、本音は自宅でゆっくり過ごしたい。夫もヘルニアの持病を抱えながら、同じ思いを胸に秘めていた。互いに相手への負担を気遣って、在宅へ本当の第一歩が踏み出せないでいた。
 二人の意を酌んだケアマネジャーらが奔走し、今年の夏から往診態勢などを整えてくれた。京都市内では数少ない在宅で末期がん患者を診てくれる医師が車で二十分かけて訪問し、痛みを和らげる緩和ケアを行う。それまで気兼ねしていたヘルパーも積極的に取り入れ、夫も洗濯や掃除などを手伝う。
 もう無理だと思っていたのに、盆には夫と息子二人と実家の墓参りができた。ふるさとから時々送ってくれる笹(ささ)寿司(ずし)が何よりおいしい。夫婦そろってペット好き。居間には、二羽の小鳥と二匹のプレーリードッグがいる。
 「みんなのおかげで人生のおまけをもらった。この分やとお正月は迎えられそうかな」。妻は夫に向かって優しくほほ笑んだ。

急げ 緩和ケア態勢整備

ホスピス病棟で笑い合う看護師と入院患者。心が通う関係が自然な笑顔と明日の希望を生み出す(京都市左京区・日本バプテスト病院)
 京都市伏見区の市営住宅で暮らす末期がん女性を支えるのは、「在宅ホスピス」を手がける高安医院(同区)の医師や看護師らだ。
 同院は、患者が日中通える「通所ホスピス」も有している。家族の負担も軽減できると好評だという。
 こうした在宅、通所のホスピスや通常のホスピス、さらに病院での痛みの除去を含めた「緩和ケア」は日本で普及が遅れてきた。
 連載第二話で紹介した近江八幡市の緩和ケア医細井順さんは言う。「緩和ケアが終末期のがん患者にモルヒネなどを投与して痛みを除くだけという誤解は、いまだに医師の中にもあるのが実情だ」
 体の痛みの除去は緩和ケアの一部。身体の痛みだけでなく、がんを患うことによる心の痛み(不安、孤独感、いらだち、死への恐怖など)や、社会的な痛み(家庭や仕事、経済的な問題)を含めた「全人的な痛み」をやわらげる高度な知識と技術が求められる。
 しかし、「治すのが医療」という認識が強い日本では、がんの終末期に実施が限られてきた。日本の医療用麻薬(モルヒネなど)の使用量は先進国平均の約五分の一。身体の痛みの緩和さえ十分ではない。
 基盤となるホスピス(緩和ケア病床)も地域差が大きい。今年一月に発表された民間調査では、がん死亡者千人あたり十床に満たない京都府に対し、全国トップクラスの滋賀県は二十余床と二倍以上の差だ。
 さらに、がん患者への精神的なケア(サイコオンコロジー)は、ようやく緩和ケアチームに精神科医の参加が求められるようになった段階。「ノウハウを持つ専門家も少ない」と、日本サイコオンコロジー学会常任世話人で、京都府立医大の福居顯二教授(精神神経科)は指摘する。
 今回取材した方々は医療者、家族や友人、仕事など多様な支えの中で自分らしい生き方を見つけていたが、がん告知で心を閉ざし絶望に沈む人は少なくない。
 二〇〇七年の「がん対策基本法」、それを受けた「がん対策推進基本計画」で緩和ケアの重要性が明確に位置づけられ、やっと政府も普及に本腰を入れ出した。患者自らが声を上げ、行動を続けた成果だ。
 計画は「十年以内に、がん医療にかかわるすべての医師が緩和ケアの基本知識を習得する」との目標を掲げる。これを踏まえ、各都道府県で医師研修などが始まっている。
 その目指すところは、「がんの初期から、必要な時に緩和ケアを受けられる態勢づくりにある」(厚生労働省がん対策推進室)。具体策は、長崎市など全国四地域をモデルに今年四月から着手されたばかりだ。
 ただ、「心の痛みは精神科医が入れば除かれるというものでもない」と、長年がん医療に携わる京都医療センター(伏見区)の小泉欣也副院長は言う。その上で、「がん患者の心の痛みが本当に分かるのは経験者。緩和ケアチームに、がん経験者に加わってもらうのが理想だ」と訴える。  連載第四話でも取り上げたように、多くのがん患者から「当事者同士の交流は励みになる」と聞いた。現在、こうした取り組みは市民団体や個々の病院頼りだが、行政が後押ししてだれもが享受できる枠組みにすべきだろう。
 連載第七話で哲学者の梅原猛さんが指摘したように、そこに仏教者と医療者が連携してかかわることができれば、宗教都市・京都ならではの緩和ケアモデルを探れるかもしれない。
 緩和ケアが必要なのは本来、がんに限らない。施設や在宅を問わず、心身の痛み、苦しみを抱える患者にケアを届けるのは、日本医療の大きな命題だ。
=第1部おわり (京都新聞朝刊2008年11月26日)

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