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iPSの衝撃

「治るかも」 夢の再生医療
ボランティアで付き添う立命館大の学生と通学する中村周平さん(京都市右京区)
 遺伝子の解明や脳科学などがすすみ、最先端の医療技術が病を治し、障害を越えようとしている。そこに希望を見いだす人たち。ただ、その光が多くの人に届くまで幾つもの壁が立つ。研究と臨床のはざま、病や障害の状況、費用、法制度、倫理…。一方で、病や障害を受け入れて暮らす人々の輝きがある。技術が、それを損なうことさえも。「命ときめく日に」の第二部は、患者や障害者の暮らしから医の先端を見つめます。
 一瞬で、自分の人生を変えてしまった事故から五年がたっていた。
 二〇〇七年十一月。京都大の山中伸弥教授が、人の皮膚からiPS(人工多能性幹)細胞を作製したと新聞やテレビが報じている。「またすぐに消えてしまうんじゃないか」。立命館大四年の中村周平さん(23)=京都市右京区=は半信半疑だった。
 事故以来、幹細胞から組織や臓器を作り出して治療に使う「再生医療」に、いつも関心を持ってきた。車いすで、あちこちのシンポジウムに顔を出した。韓国でのES(胚性(はいせい)幹)細胞のデータねつ造事件や、日本のES細胞研究が規制の厳しさから、前進しない現状を知るたび、再生医療は夢物語と感じた。
 だが、報道は連日のように続く。「組織などに育った細胞を、生まれたころに戻すタイムマシンを山中は発明した」。国内外の名だたる研究者らが賛辞を送る。「ひょっとしたら期待していいのか」
 〇二年十一月十七日。京都成章高二年だった中村さんは、ラグビー部の新チーム立ち上げの練習に参加していた。レギュラーを目指し、普段に増して熱が入る。ボールを味方にパスし、地面にうつぶせに倒れ込んだときだった。首の上に硬いものが落ちてきた。ボキッと折れる音がした。首から下の感覚が消えた。
 頸椎(けいつい)損傷の重傷。運ばれた病院のベッドの上で、手と足が自分の意思では動かないことを知った。打ちひしがれた。
 事故から半年で退院。「医療が劇的に進歩して、治るかもしれない」。前向きに自分を切り替え、体を動かすトレーニングを始めた。合間に勉強を続け、大学に合格。福祉を学び、再生医療も知った。今は不可能な頸椎神経の修復。「iPS細胞が実現してくれるかも」
 〇七年からは、幹細胞を使った頸椎損傷治療などを研究し、国が京都大などと並んでiPS研究の拠点に指定した慶応大病院の診察を受け始めた。最新治療の正確な情報を知り、可能性を探るためだ。
 「いつになるかは分からない」と現実は直視している。「けど、その日が来たらいつでも移植を受けられるよう、訓練で体の状態を少しでもよくしておきたい」。講義がない日は一日五時間のトレーニングを続ける。
 来春からは大学院にすすみ、社会福祉士の資格も目指す。健常者から障害者になり「身を持って感じた支え合いの大切さ」。当事者として障害者を支える仕事に就くつもりだ。
 「いつごろ移植してもらえますか」「どこで手術できますか」。山中教授をはじめ、再生医療の研究者のもとにはiPS細胞の作製以来、患者からの問い合わせが続く。期待は励みになる。一方で、今の患者をすぐに治療できるわけではない。研究者には複雑な思いも交錯する。

■iPS細胞
 人の皮膚細胞などに特定の遺伝子を組み込むことで組織などに分化する前に初期化した幹細胞。人の受精卵からつくるES細胞に比べ、倫理面の問題もなく、自分の細胞を使うため拒否反応もないとされる。実用化に向けては安全性の確立、目指す組織や臓器への確実な分化などが課題。

過度な期待に危うさも

iPS細胞の研究成果を記者会見する京都大の山中伸弥教授。難病患者の親との交流も話した(昨年12月、京都市左京区・京都大)
 「これは大変だ。わたしの説明が誤解を与えたのか」。京都大の山中伸弥教授は、iPS(人工多能性幹)細胞の作製成功を発表した後、北海道から移植を望んで研究室を訪ねてきた患者の親をみて戸惑った。
 「過度な期待を与えることは、患者さんにとってもひどいことになる」。公の場での発言に言葉を選ぶようになった。
 ただ、「過度な失望も違う」と山中教授は強調する。世界の研究者がiPS細胞の実用化に英知を絞り、しのぎを削り、巨額の研究資金も投入されている。マウス実験での難病治療の成功報告をはじめ、患者の細胞からiPS細胞をつくり、病気の原因や治療法を調べたり、薬の効果をみるなど多様な研究が形になりつつある。
 「何もない土地にまいた種が芽を出した。これから花を咲かせる」。整形外科医として治すことができない病に心を痛め、研究者に転じた山中教授は力を込める。一方で、こんな胸の内も明かす。
 ES(胚性(はいせい)幹)細胞で働いている遺伝子を活用し、その研究成果の上に生まれたiPS細胞。だから、「iPSよりいい細胞ができれば、それでいいんです。一日でも早く患者さんの役に立つならば、その方がいい」。
 網膜が変性して徐々に視力を失う「網膜色素変性」は、有効な治療法がない。理化学研究所(神戸市)のチームリーダー、高橋政代医師はiPSなど幹細胞から視神経を再生して移植、治療する研究で世界の先端を走る。
 同時に眼科医として週二回、診療の現場にも立ち続けている。「移植を受けて治したい」。研究の話を聞いて患者が訪れることもあるが、率直に説明する。動物実験などで幾重にも安全性を確かめ、地道にデータを積み上げなければならない。
 「人への移植の一例目は十年後。治療として確立されるには、さらに二十年かかります」
 そこには「患者にぬか喜びさせてはいけない。期待だけを持たせると、その人が障害を受容できなくなってしまうから」との思いがある。
 一方で、iPS細胞の研究には今の患者の協力と理解が欠かせない。難病患者らから細胞を集めて病気の解明などに取り組む京都大iPS細胞研究センター副所長の中畑龍俊教授は、「細胞を提供した患者の親から、この子の治療につながらなくても、次世代に生かせるなら役立ててほしいと言われ、感銘を受けた」と話す。
 iPS細胞など再生医療の研究が進んでいることは知っている。「でも、四十代の自分に(再生医療が)届くとは思ってない。障害者であることで何か失ったとも思わないんです」。二十四年前、バイク事故で頸椎(けいつい)損傷となった木村善男さん(44)=京都市伏見区=は笑顔で話す。
 曲折はあった。舞鶴高等専門学校五年の事故から、「ただ生きているだけ」の時が十年流れた。自宅のベッドに横たわり、テレビのお笑い番組を何となく見る日々−。
 転機は九年前。母親が入院したのをきっかけに障害者の福祉施設に入所した。テレビの前にいる自分に、「そんなん、おもろいか」と問いかける仲間にドキッとした。一人の世界に閉じこもった自分をみつめ直した。
 「自分で選び、思ったように生きたい」。四年前に退所して一人暮らしを始めた。京都頸髄損傷者連絡会の理事として行政に働きかけ、自宅近くの京都文教大に出向いては学生に講演もする。
 「障害者になってからの方が充実した生活を送っている。機能回復だけが幸せじゃない。健常者でもできないことはたくさんあるし、障害があってもできることはたくさんある」
 障害とともに生き生きと暮らしてきた自分が、今ここにいる。
 再生医療で、可能なら機能を回復させたいと願う人の気持ちに思いをはせる時もある。「障害があることで人に迷惑をかけていると感じたり、暮らしにくいと感じさせるものがそこにあるなら、まず障害があっても暮らしやすい世の中であってほしい。そういう社会にしていきたい」
(京都新聞朝刊2009年1月1日)