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脳波スイッチ

漫才でツッコミ 広がる日常 伝えたい相手いてこそ
脳波スイッチでアイスクリームを注文する浦野晃一さん(兵庫県高砂市)
 「ストロベリーを下さい」。車いすに積んだ機械から音声が流れる。店員がアイスクリームを付きそう母に渡す。席に戻ると機械から「いいお店ですねー」とおべっか。店員さんが微(ほほ)笑む。
 浦野晃一さん(22)=兵庫県高砂市=は、最重度の障害で発声も身体を動かすこともできない。額に付けた脳波スイッチで、音声出力機器に支援者が録音した幾つかの文例から選ぶ。思いをBMI技術が伝える。
 今日は自宅近くのアイスクリーム店で、養護学校時代の担任だった是川雅秀教諭と母の明美さん(47)と一緒にやってきた。前日に是川教諭とコンビを組み、小学校で漫才を披露した。反省会が始まる。
 「昨日はツッコミうまかったな。盛り上がったで」とボケ役の是川教諭。「デビューできそうやね」と母が応じると、音声装置から「そんなやつおらんやろー」。絶妙のタイミングが爆笑を生む。
 晃一さんはウェルドニッヒ・ホフマン病(乳児脊髄(せきずい)性筋委縮症)で全身が動かない。生後四カ月でミルクも飲めなくなり、一月後に人工呼吸器を装着。晃一さんは幼稚園で、笑顔と怒った顔の絵から目線で選び、意思表示をする訓練を始めた。わずかな眼や唇の動きを通じて、晃一さんの思いを家族はくみ取ってきた。
 養護学校に入学し、晃一さんは「技」を編み出した。心拍数と血中酸素濃度を測るメーターは、範囲を設定すれば警告音が鳴る。要求があれば心拍数が一四〇以上になる。外で遊ぼうか?。ブランコ。土手すべり。教諭の誘いに、ピーピーと鳴らして返事をする。
 晃一少年が返事を出来ないことがあった。二つの果物を洗っている絵を見せ、リンゴはどれ?と尋ねると、選べなかった。
 生まれた時から七歳まで病院で過ごし、人工呼吸器や常時見守りがいる介護負担が壁になり、外出が限られてきた少年にとって、台所の様子など見たこともないものには反応できない。母と教諭たちは、経験と内面の重要さに気付いた。
 「晃一の中に伝えたいことがあって、伝えたい人、共感してくれる人がいて、初めてコミュニケーションが成り立つんです」
 中等部で出会った脳波スイッチ。健常者でも自分が思った通りに押せるのは50%程度。違う文例が出ることがある。伝えたい言葉がモニター上の選択肢にないこともある。
 でも、と母は思う。「どんな人でも、すべての思いを伝えられる訳ではない」。買い物、山登り、漫才出演。意思伝達装置を通じ、街に笑顔と晃一さんの世界が広がる。
■BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)
 脳内の電気活動をデジタル信号として取り出して機器を動かしたり、映像などを脳に直接送信する技術。外科手術を伴わずにイエス・ノーで変化する脳波や脳血流を測定し、モニター上の文例候補から選ぶ意思伝達装置が市販されている。操作の難しさなどから、利用者はまだ極めて少ない。

「脳を読む技術」に光と影

BMIで脳を読み、人の手と同じ動きをロボットアームに同時に行わせる実験。念じるだけで動く介護ロボットの開発などにつながる(大阪大提供)
 浦野明美さん(47)は、息子の晃一さんがつける脳波スイッチに、「はい」「いいえ」のように無機質な言葉を登録をするのではなく「そやなあ」「嫌じゃ」と、のんきな関西弁で入力する工夫をした。
 晃一さんを囲むみんなで、いろいろな夢を見て形にしてきた。人工呼吸器を担いで山に登った。漫才や、テレビ番組の仮装大会出場に挑戦した。「楽しいことは誰だって、周りのみんなと一緒に育(はぐく)むもの」
 晃一さんの漫才の相方である是川雅秀教諭は「現状の脳波スイッチはそこそこの機械だが、画期的ではある。でも機械に使われてしまってはいけない。技術を使うことが目的ではない。楽しみから始めて、どう使うか、です。主体的に充実した日々を過ごせることが目標」と指摘する。
 BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)の技術を活用した脳波スイッチ。昨年一月、京都大であったBMIの未来を探る国際シンポジウムでも、浦野さんの生活がビデオで紹介され、内外の研究者に衝撃を与えた。BMIの研究、実用化は日進月歩ですすむ。
 人が手を握ると、少し離れたロボットアームも同時に拳を作った−。大阪大の吉峰俊樹教授らが、本年度から進めている臨床研究。人の脳の表面に置いたシート状の電極で取った脳波をコンピューターが読み、信号を受けたアームが動きを再現した。確率は70−90%。「次はグーを」と考えた脳波を察知し、機械の手が先取りして動くこともあった。
 「特別な訓練をせず、患者や障害者が思い描くだけで動く機械を開発し、手足が不自由なALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)や脊髄(せきずい)損傷患者らに役立つ技術を完成させたい」。吉峰教授らはBMIを応用した機器の実用化を数年後に見据える。
 京都府精華町の国際電気通信基礎技術研究所(ATR)でも昨年一月、川人光男・脳情報研究所所長らが、米国にいるサルの脳と日本にある二足歩行ロボットをBMI技術でつなぎ、サルが歩くとロボットが同じ動きをする実験に成功した。昨年十二月には、頭に浮かべた文字をパソコンに打ち出す初期技術も開発した。「患者や障害者が自分の意思で介護ロボットを自由に動かしたり、文字を打ち出す技術に結びつけたい」(川人所長)。
 脳のどの部分が何の働きを司(つかさど)るのか。一九八〇年代から、脳の機能を「目で見る」技術が発展した。脳血流の変化を観察する機能的磁器共鳴画像装置などが普及し、米国は九〇年代を「脳の十年」と定めた。
 「BMIや脳機能イメージング(可視化)の応用は医療福祉分野にとどまらない」。京都大の福山秀直教授(臨床脳生理学)は言う。脳の解明は、記憶や感情など「人の心」の部分にも触れつつあるからだ。脳からスキ・キライなどの感情を読み取る技術開発が国内外で続く。米国では、ウソ発見器など捜査への活用も視野に研究がすすむ。「眠らず食べず闘い続ける兵士」といった軍事利用研究もある。経済界も注目する。脳情報に基づき、客の満足度が高い商品を作れるかもしれない−。
 それだけに、脳科学がもたらす倫理面の影響も研究する福山教授は警告する。「裕福な人だけが、記憶力や身体機能の能力増強を図る格差が生まれる危うさもある。カルト宗教の洗脳に悪用されるかもしれない」
 ATRの川人所長も同種の問題を指摘する。「脳の情報をインターネットを介し、別の脳に接続できるほど技術が進歩する可能性がある」。BMIによる「テレパシー」の実現だ。「そうなれば、『個』の概念が変わる社会の到来も否定できない」
 川人所長は「多くはまだ先の話で、今は脳神経科学、工学、医学の研究者が垣根を越え、障害者や患者の生活をより良くする技術開発に全力を挙げている」としつつ、「ただ可能性が現実になった時、社会あるいは個人がBMIをどう受け止めるのか考えておくことは非常に重要だ」。  何のための脳科学、BMI技術なのか。浦野さんたちの挑戦が問いかけている。
(京都新聞朝刊2009年1月3日)