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存在しない病

治療の扉開きたい 前を向き 難病指定へ支援の輪
支援者が運営する放課後型フリースクールで子どもとふれあう中岡亜希さん(京都市北区)
 国内線乗務から、ようやく子どものころからあこがれていた国際線に変わった。大手航空会社の客室乗務員として、希望にあふれていた。中岡亜希さん、二十五歳だった。
 病の影が、少しずつ差し込む。客に飲み物を出すのに、指に力が入らずペットボトルのふたが開けられない。普通に歩いているのに、つまずく。次第に長時間、立つこともつらくなってきた。
 短大時代、チアリーダーで鍛えた体には自信があったのに。
 幾つかの病院を回り、告げられた病名は「遠位型ミオパチー」。筋肉に空胞ができて徐々に萎(い)縮する。日本では三百人前後しかいない難病。治療法はない。手足から発症し、十年前後で自力歩行ができなくなる。やがて寝たきりに−。
 「医師からいろいろ聞いたけど、最初は実感がなかった」。告知を受けて仕事は休職したが、復帰も夢見て、東京での一人暮らしは三年間続けた。
 だが、筋力の衰えは確実にすすむ。自宅玄関の低い段差にさえ足が取られるようになり、四年前、実家の宇治市に戻った。間もなく車いす生活になった。
 「自分だけ、なんで」。激しい孤独感が襲う。同じ病を抱えている人と話したい。ネットで仲間を探した。その縁で支援してくれる人たちも現れた。  「現実は受け止めよう。でも、落ち込んで生きていくのは嫌だ」
 専門医から、進行を遅らせる治療薬の研究がすすんでいることを聞いた。実現には国の支援が必要という。厚生労働省の担当者に問い合わせると、「それ、どんな病気ですか」。行政上は、存在しない病と実感した。
 難病指定を求め、昨年春から仲間と署名活動を始めた。同時期に発足した患者会代表になり、八月には全国二十万人の署名を厚生労働相に提出した。今後は同じ希少難病の患者同士をつなぐ活動もしたい。「あの孤独感を感じる患者を、少しでもなくせれば」
 進行を遅らせるためのリハビリを続けているが、昨日より今日、確実にできないことが増えていく。いつまで一人で着替えたり、トイレに行けるだろう。不安を数えれば、きりがない。
 「ただ、前を向いて笑って生きていたい。生きることと、死なないでいることは違うはずだから」
 今年の夏、仲間と富士の山頂に登り、眺めるはずの朝日。胸の奥で、輝きをやめない。
■難病
 1000以上とされる難病の中で現在、日本では123疾患が難病(克服研究事業)に指定され、うち45疾患には公費助成がある。基準は「原因不明、治療法未確立」などあいまい。「患者会の活動や政治力にもよる」ともいわれる。

採算とれない創薬できぬ

西野医師は京都市出身。15年前に筋疾患研究のため、京都大から国立精神・神経センターに移った(東京都小平市)
 「治療薬の研究としては最終段階まできている。ただ、そこから先、薬として患者に行き渡るには広くて深い川がある」
 遠位型ミオパチーなど筋疾患研究の第一人者で、国立精神・神経センター神経研究所(東京都)の疾病研究第一部長、西野一三医師(45)は打ち明ける。
 宇治市の中岡亜希さん(32)が患う遠位型ミオパチーは、「縁取り空胞型」(DMRV)という種類で、一九八一年に同研究所が世界に先駆けて発見した。二〇〇一年にはイスラエルの研究班が変異遺伝子を特定。細胞のシアル酸ができにくくなることが病気の原因と判明した。
 〇四年には、西野医師が患者の培養細胞にシアル酸を入れることで筋力を戻すことに成功。マウス実験でも有効な結果を得ており、人では「少なくても病の進行は抑制できる水準に達しているはず」という。
 「筋疾患は原則、治らないといわれてきた。それが極めて順調に原因が分かり、治療法までほぼ解明できた特異な例」。後は人で安全性を確かめ、薬にして患者に−。先例がないだけに、西野医師は自ら方法を調べた。愕(がく)然とした。
 「日本では、希少難病の治療薬をつくる道が事実上、ない」
 日本の薬の承認制度では、大手製薬会社の資金と生産能力が不可欠なのだ。三層に及ぶ臨床試験など手続きだけで十−二十億円かかる。「患者の多い病気なら採算がとれるが、三百人前後の患者では…」。企業担当者の口は重い。遠位型ミオパチーよりはかなり患者が多い小児がんや悪性骨肉腫などでさえ、「市場規模が小さい」と新しい製薬がすすみにくい。
 米国では希少疾病の製薬はベンチャー企業が担い、人への臨床試験には政府助成もある。日本は企業の新規参入に規制が厳しく、助成もない。「治療薬をつくるための研究に国費を出しながら、薬をつくる方法がないなら、われわれの研究は無駄になる。創薬の新しい枠組みが必要」と西野医師は訴える。
 遺伝子技術や再生医療の発展で、今後はDMRVのように希少難病の治療法が見つかる例は増えるとみられる。だが、「希少難病まで治療を広げるのかは費用面などで将来問題になる」(京都大医学部教授)。
 「治療法があるのに、希少難病だからと見放していい訳ではない。一方で、数人しかいない難病に何十億と税金を使うのかという声も出るかもしれない。ならば、海外の治療成果をただ待つのか。いずれにせよ、日本はどうするのかを、政治も行政もだれも考えていないのが問題だ」。西野医師は悔しさを隠さない。
 「わたしたち希少難病の患者には、治療に向けての壁がいくつもあります。まず治療研究に支援が足りません。それがうまくいっても、薬にするには制度と費用がネックになります。薬になっても国の指定がないと、治療への助成が受けられません」
 中岡さんの温かで、しかし切実な声がラジオから流れる。昨年十二月から、FM宇治で週一回、番組パーソナリティーを始めた。
 「わたしたちが声を上げないと変わらない。住みにくい世の中だけど、署名活動を手伝ってくれた多くの若者をみると、希望はあると思う。みんなでだれもが住みやすい社会にしたい」
 中岡さんは仲間と一月十一日にNPOを結成し、希少難病患者の支援やネットワークづくりに乗り出す。
 手のひらを見つめる。ゆっくりと、失われていく握力。この手で薬をつかみたい。今をいっぱい生きる。あしたを、あきらめない。
(京都新聞朝刊2009年1月5日)