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「当然」の治療

透析で「何度も蘇生」感謝 未来への研究 後押し計画
腎不全患者の命をつなぐ人工透析機。ありがたみをかみしめつつ、透析中もノートパソコンで仕事に励む(京都市伏見区の病院)
 無線回線でつながったパソコンのキーを、右手でたたく。左腕はチューブで人工透析機とつながっている。京都市伏見区の病院透析室。同区の若松明彦さん(31)は一人がけのソファに座り、仕事に打ち込む。
 時折、血液を浄化する透析機に目をやる。「放っておいたら死んでしまう自分を何度も蘇生(そせい)させてくれる機械ですから。本当にありがたい」
 二十六歳で企業の商品管理などを担うシステム開発会社を立ち上げた。二年後の秋、体に異変が起きた。食欲が出ず、尿に血の塊が混じる。耳の奥で「ゴォー」という音が響き出し、倒れた。
 首の動脈から心臓付近まで管を入れ、緊急の透析治療で一命を取り留めた。それまで自覚症状はなかったが、診断結果は慢性腎不全だった。  「人工透析で生きていけるが、仕事をどうするか」。契約先に打ち切り覚悟で病気のことを話した。多くの会社が理解してくれて仕事は減らなかった。
 透析は週三日、毎回約五時間かかる。「病気を含めて信頼してくれる人のため、最善を尽くしたい」。いつでもシステムの不具合に遠隔操作で対処できるよう、透析室へのパソコンの持ち込みを病院に頼んで実現した。
 透析室で知り合った高齢患者から、人工透析が開発されるまで腎不全は延命手段もなく死に至る病だったと聞いた。導入後も高額な医療負担で限られた人しか受けられない時代があったと知り、「誰もが恩恵を受けられる制度は当たり前にあるんじゃないと、その重みを感じた」
 ただ、「今も患者は深い悩みを抱えている」。インターネットで同世代の若者とやりとりをして、共感した。生命保険への加入や住宅ローンを組むのが難しい。結婚に二の足を踏んでしまう。透析をしない間にたまる尿毒素などの影響が心配で出産をあきらめる女性も多い…。
 「塩分や水分を取り過ぎないよう、常に制限するストレスも日々積み重なると苦しい」
 だが、「不満を言っても何も変わらないから、将来のことを考える」。バンクに登録して腎移植の実現の日を待つ。小型化した透析機に細胞を組み込む「バイオ人工腎臓」や、iPS(人工多能性幹)細胞による再生医療の研究にも関心がある。
 患者が情報交換したり、研究を後押しする声を集めるネット上のサイト開設を計画している。「人工透析の普及を願ったかつての運動のように、僕ら若者も自分の人生を良くしたいなら、未来の技術が早く現実になるよう求めていくべきだ」
■人工透析 糸球体腎炎や糖尿病などで慢性腎不全が悪化すると、体内の老廃物がろ過できずに尿毒症などを起こして死に至る。人工透析機により腎機能を代替させる。日本の透析患者は年1万人ずつ増え、人口比では世界最多とされる。

「高額、選別」の時代越え

1970年代後半から80年代、人工透析が急速に普及したころ(京都市内の病院)
 心を凍らせた。どうしても聞かなければならない。
 「治療費を払い続けられますか。途中でやめるのなら、人工透析は受けない方がいい」。京都大病院(京都市左京区)の澤西謙次医師は患者に正面から問うた。
 四十年前、当時の「最先端医療」である人工透析を適用するかどうか、患者にとっても医師にとっても過酷な瞬間だった。
 人工透析(腎臓)機は一九一三年に米国で開発され、動物実験が始まった。四五年には腎不全患者の救命に成功する。
 日本では六〇年から実験的に臨床が始まった。関西では京都大が先陣を切り、急性腎不全患者に透析を行ったが、四人続けて亡くなった。「五人目の二十代の女性患者が助かった時には、ほんまにうれしかった」。現在、七十七歳になった澤西医師が振り返る。
 六七年には医療保険適用になる。しかし、透析機の台数は全国で百台足らず。専門医も少ない。患者が殺到するため、民間では透析を行っていることを積極的に公表しない「覆面病院」もあった。
 何より問題は高額な自己負担だった。「透析一回四万円。最低月八回で三−四十万円。当時の会社員月収の三−五倍だ。透析を適用できる患者を選ぶしかなかった」と澤西医師。「途中で治療費が切れ、透析に来られず亡くなった患者がいた。患者に一時の夢をみせて、家族に借金を残す。そんな悲劇は繰り返せないから苦渋の思いだった」
 別の病院では、田畑を売って透析をしていた患者が「もう家族に迷惑をかけられない」と治療を中止し、亡くなった例もあった。
 米国では医療関係者に牧師や弁護士、行政マンらを加えた「七人委員会」で適用患者を選別していた。これを参考に、京大でも▽企業健康保険の本人(当時は十割給付で自己負担なし。国民健康保険は本人でも三割負担)▽意志強固で自己管理能力がある(通院、食事制限などに耐えうる)▽勤務先に復帰できる−などを条件に患者を選ばざるを得なかった。
 そうした実態に、患者たちが政府に対して「カネの切れ目が、命の切れ目になる」と声を上げた。患者会の運動のうねりは、七二年に政治を動かす。腎不全患者を障害者とみなし、「更生医療」として透析費用の自己負担をなくしたのだ。
 更生医療のスタート前に人工透析を始めた京都市伏見区の近藤定信さん(60)は、「それまで一月分の給与が一回の透析で飛ぶほどの負担が、無料になって本当に助かった」と話す。「当時はそうして透析を続けても三−五年の命と言われたが、急速に機器や技術が発達し、三十七年間も透析で生きてこられた」。
 七二年当時は全国で三千六百人だった透析患者は、負担の無料化で十年後には十三倍の五万人弱に増えた。政府、医療機関、機器を開発・販売する企業、患者の利害が一致し、技術向上と普及が進んだ「蜜月時代だった」(澤西医師)。
 だが、八〇年代に入ると、「医療費亡国論」(八三年の厚生省保健局長論文)に象徴されるように、政府は医療費の抑制を始めた。
 近年は糖尿病からの腎不全が四割を占めるに至り、透析患者は約二十八万人にまで達している。「一人に年間四−五百万円も医療費がかかっている」と、医療費増加のやり玉にあがることもある。
 「他の難病に比べ、正直言って腎不全患者は恵まれている。自己負担がほとんどない透析を当たり前に考える患者が多い」。京都腎臓病患者協議会の発足直後からかかわってきた近藤さんは憂える。
 英国では公立病院が低所得患者の透析を打ち切り、大きな問題になったことがある。日本でも他の医療や介護と同じく、すべての透析患者に対する自己負担化が検討されている。
 「先端医療を広げようとした先輩患者の努力や歴史を忘れてしまっては、再び費用負担や、命の選別を受けることになりかねない」