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生きる選択肢

人工呼吸器が「よこにいた」 仕事も現役 「妥協なし」
人工呼吸器を装着して6年、指一本でデザインしたバッグの出来を確認するALS患者田中豊亨さん(京都市左京区)
 動かせるのは左手の中指のみ。そのわずかな動きをセンサーで感知し、パソコンのモニターに長方形や円を描いていく。人工呼吸器が静かに息を紡ぐ。
 京都市左京区の自宅のベッドで、全身の筋肉が動かなくなっていく難病筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症して八年になる田中豊亨さん(64)。祖父から三代にわたる図案家で、今もバッグのデザインを続けている。
 長男の晶さん(36)が、出来上がったバッグを見せる。父の目線は厳しい。平仮名五十音を記した透明文字盤から、視線で一文字ずつ選んでいく。
 「しんさくはっぴょうかいは どうする」
 晶さんは「父は妥協がない。ALSを発症してからパソコンを始めたので、最初は四角形を描画するだけで何時間もかかったんですが」と笑う。
 病のため、嫌いだったパソコンを使わざるを得ないことについて、新しい感覚との出合いと田中さんはいう。「絵が全部、頭の中のイメージと違う物になって、面白い。発見がある。病気になって良かったのはパソコンを知ったこと」
 発症前から長年、バッグやタペストリーなどを創作してきた。肩や腕を動かすことがだんだん困難になり、二〇〇一年にALSと診断された。田中さんは告知された時、それがどんな病なのか、「よく分からんかった」。口から食べること、歩くこと、声を出すこと。さまざまな機能を失い、体は動かなくなっていった。
 ALSは、過酷な病だといわれる。主に中高年で発症し、息をする力も衰えていく。治療法は分かっていない。人工呼吸器を使い十年以上長く生きる人もいる。だが七割の人が装着せずに亡くなっている。生きたいとの思いと、寝たきりで全介護となる未来の間で、過酷な自己決定を強いられる。
 妻の京子さん(64)や晶さんたちは、人工呼吸器を装着して、長く生きていてほしいと願った。
 絵を思うように描けなくなっても新しいバッグのアイデアが生まれ、ファッションへの気遣いも忘れない田中さんの生きざま。「なるようになる」
 家族はあえて選択を迫る言葉は口にしなかったが、その思いを受け取った。息が苦しくなった田中さんは〇二年末、人工呼吸器を装着した。
 人工呼吸器とともに生きることをどう捉(とら)えているのか。「きがついたら よこにいよる」と田中さん。表情は動かないが、瞳の中に、からりと笑う姿が見えた気がした。
■人工呼吸器
 自発呼吸の弱くなった人の肺に空気を送る機器。外科手術を要しない鼻マスク・顔マスクのタイプも開発されている。自発呼吸が低下した早期に使用し、呼吸リハビリと組み合わせるケアも進んでいる。現在は健康保険で在宅人工呼吸管理料が認められ、レンタルが可能になった。

負のイメージ根強く

学生や支援者らに囲まれ、一人暮らしを始めたALS患者の杉江さん(京都市北区)
 昨年七月、京都市北区の佛教大。福祉を専攻する学生を前に、車いすの杉江眞人さん(61)が、ろれつの回らない、不明瞭(めいりょう)な声で体験を語り出した。「昨日まで書けた字が書けなくなる。昨日持てた箸(はし)が持てなくなった」。涙で何度も話は途切れた。
 〇七年に京都市内の大学病院で、進行性の神経難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)と知らされた。医師は告げた。「一年たてば、両手両足が動かなくなり、車いすの生活になる。家族の介護がなければ生活できない。人工呼吸器を着けて在宅生活をしている人はあまりいない。介護負担も、経済的負担も重い。病院も看てくれるところは少ない」
 続けて医師は「人工呼吸器を装着するか、しないか決めてほしい」と切り出した。死の選択をその場で迫られ、「何がなんだか分からなかった」。杉江さんは一人暮らし。離れて暮らす娘に介護負担はかけたくなかった。絶望と混乱。「人工呼吸器使用を希望しません」。病院が用意した書面にサインをした。
 人工呼吸器は、かつて患者を病院に縛り付けた。高価で大型の先端医療機器だった。近年の技術革新で、在宅で使え、車いすに積み外出もできるまで小型化され、安価になった。たん吸引などを支える介助の人手があれば、その人らしい暮らしを支えることができる機器になった。
 だが、そのことは医療関係者の中にさえ十分認識されていない。「延命装置」「カネのかかる終末期医療」のシンボルのように語られがちだ。ALS患者の長男から懇願されたとして人工呼吸器を外した母が、嘱託殺人罪で二〇〇五年に有罪判決を受けた相模原事件なども、悲惨なイメージに拍車をかける。
 医療費削減を掲げる政府の姿勢も影響している。厚生労働省は昨年四月、後期高齢者医療制度の中で、終末期医療の治療方法を文書で確認した場合、二千円の診療報酬を支払う「終末期相談支援料」を新設。同省は人工呼吸器を「着ける、着けない」と二者択一させるリビング・ウイル(生前の意思表示)を例示した。
 「人工呼吸器や経管栄養に対する偏見は根強く、末期患者と思われてしまう。家族の事情や福祉の充実度、医師の主観で患者の意志は揺れる。自己決定の名前の下に、患者を治療の不開始へ誘導する無言の圧力になる」。日本ALS協会は、厚労省に激しく反発した。同省の「死亡前一カ月の医療費が約九千億円、在宅死を倍にすれば五千億円を削減できる」との試算公表も批判を浴び、終末期相談支援料は三カ月で凍結に追い込まれた。
 厚労省は「終末期医療のあり方懇談会」で、人工呼吸器など「延命治療」中止要件の論議を続けている。
 杉江さんは昨年冬、自宅で転倒を繰り返し、食事を取り出すのも着替えも難しくなった。週四度、一回一時間ほど滞在するだけのヘルパーでは、独居は限界だった。「生きられるのなら、そりゃ生きたい」。でもその思いを伝えられずにいた。
 杉江さんはその後、看護師や立命館大の学生たちとの出会いで、障害施策のヘルパー制度を活用し、二十四時間、誰かがそばにいる独居生活を始めた。
 学生たちと語り、時に酒を飲む。「人生が始まった。病気は苦しいが、学生たちといると気持ちが若くなる。さみしくはない」。昨年秋から夜に数時間、鼻マスク式の人工呼吸器を使い始めた。
(京都新聞朝刊2009年1月7日)